て云おう。短篇の批評に於ては、作者の態度とか心境とかいうことが、作品の内容と切離して見らるることが多い。ところでこの作者の態度とか心境とかいうものは、云わば人生に対する作者の身構えであって、それは作品の基調となるものではあるが、作品の中に直接盛りこまれるものではない。だからこの問題に関する限り、作者はその作品の内容について、常にこう云うことが出来る、「あれは、或る人物の或る場合のことを書いたのだ。」
 こうして作者が一人傲然と構える時、そこに置きざりにされた「或る人物の或る場合」はどうなるか。それは一つの特殊の相ではある。或る人物の或る場合であることに変りはない。だが、この「或る」というのが曲者だ。人は誰でも人間たる限り、自分のうちに無数の動向性を有し、偶然への無数の逢着性を有している。それ故、「或る」という特殊は、可能という見地からすれば、直ちに普遍となる。或る人物の或る場合は、誰でもいつ出逢うか分らない場合となる。
 作者はその態度とか心境とかいう立場で作品の後方に控え、作品は或る人物の或る場合という口実の下に普遍性を帯び、そしてただ芸術的技法のみが問題となってくる時、作品中の人物
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング