子、貫一、三四郎、机竜之助、丹下左膳……一体、真摯な文学は、そして作者が血肉を注ぎこんだ人物は、どこへ行ってしまったか。日本の名高い文学者について、その人が書き生かした人物が、果して幾人世人の頭に残っているだろうか。更に悲しいことには、果して幾人の人物の名前が、作者自身の頭の中にさえ残っているであろうか。
 こういう現状であるからこそ、殊に、長篇作品が要望されるのである。人物を書き生かして実在的存在の域にまで高めることについて、短篇は到底長篇に及ばないのは明かである。が、このことに関して一言しておきたいことが一つある。
 短篇では、分量の関係上、或る人物なり或る事件なりを全幅的に描くことは困難であって、多くは、人物や事件の断面図となる。云い換えれば、人生の断片となる。尤もこの人生の断片は、すぐれた作にあっては、全体を予想せしむる断片であって、書かれた部分以外に、その額縁以外に、広く進展する可能性を含有している。けれども、そうした断片を取扱う場合、特珠の場合を除いて大抵は、その文学的操作法に一種の限定が生ずる。そしてこの限定は、作者と対象とを分離させる作用をなしがちである。
 事実に即し
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング