飲もう。」
おれは祝杯をあげかけたが、また腰掛の上にくず折れてしまった。
「あたし、もう帰ってよ。」
「ええ、それがいいわ。」
声だけ聞えた。中野は立ち去ったらしい。喜久子はちょっと後片付けをしたらしい。そしておれは寝床へ連れこまれたらしい。
アルコールの過度の刺戟[#「刺戟」は底本では「剌戟」]で、おれは夜中に眼を覚ました。それからおれは、肱で突っつかれて寝返りをした喜久子の、下品な耳をしばらく見ていたが、ひどく佗びしい気持ちになって、そっと起き上った。枕頭の水を幾杯も飲んだ。その水のコップに、へんに黄色がさしていた。持ちようによって、黄色は浮きだしたり消えたりした。それが、置床にある杜若の花の反映だと分った。
陶器の花瓶に三輪、無造作に活けこんだ、黄色い杜若の花だった。普通の白や紫の方がよほど綺麗なのに、どうしていやな黄色の花などを拵えるのだろう。――殊に、雪洞の二燭光で眺めると、その黄色は、殆んど生気がなくて造り物のようだ。――そんなことを考えていると、また、鼻先に、喜久子の耳が見えた。その耳も、なんだか黄色みを帯びている。気のせいか、雪洞の白紙も黄色みを湛えている。室の
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