ばなるまい。
 こういう現状に於て、蘇州百貨公司のやり方は注目の要があるというのである。これはつまり、一営利会社の立場にばかりでなく、蘇州民衆の立場にも立って営業が続けられているのであり、観念的には日支共存の思想にまで延長出来得る萠芽を持っているものだと、この方面に全くうとい私が想像するのは、行きすぎであろうか。
 結局は経済力資本力の問題だと人は云うだろう。然し私はそんなことを茲に取上げるのではない。これを機縁にして、支那民衆の中へ共存生活の気持ではいってゆくか否かを、考えてみたいのである。日本の側に於てこの根本の考察を誤ったならば、揚子江は常に経済的条虫であり上海は常に経済的癌腫だとの状態が、支那から除去されないだろう。
      *
 治安工作の方面や経済提携の方面について、私が以上の如き不馴れな筆を運んだのも、喜ばしい事実に直接触れたからに外ならない。今次の戦争を真の聖戦たらしめ、今次の事変を支那民衆の解放の転機たらしめ、新支那中央政府に愛国運動たるの面子を保たしめ、かくして東亜新秩序を牢固と確立するためには、あらゆる方面に於て、一応支那民衆の側に立って物を考えてみることが必
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング