とは異ったものである。殊に、氏が懇意にしている人々のうちに、幾名かのインテリ女性らしいものを見受けるのは、注目すべきであり、恐らくはインテリ男性も相当にいるだろう。
芝原氏が現在如何なる仕事に力を注いでるかは、茲に省くとして、現在のような地位を杭州市民間に獲得するには、つまり、体当りの骨法でいったことが、氏の言葉によって推察される。体当りの骨法でゆくというのは、茲では、身を以て民衆の中に飛びこんで共存的生活をなすことを意味する。
新支那中央政府が成立した現段階に於ては、宣撫工作などというものも或る微妙な色合を持たなくてはなるまい。周仏海氏は、日本の宣撫工作について、それに助力させる中国人の人物選定の問題に関し、一種の不満を述べていたが、そういう問題はもはや中央政府に返上してよかろう。今は、中国人と共存的生活をなす肚のある日本人が要望される。
*
蘇州へ行った人は大抵、蘇州百貨公司の現状に注意を惹かれるだろう。
これは元来、大丸百貨店の支店であり、名称もそうであったのだが、支那風に蘇州百貨公司と改められたのである。そこには、さまざまな地色の絹布に金糸銀糸で模様を浮べた
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