止んだ。「夜だな」と彼は思った。然し時間というものに対して妙な気が起った。時の歩みが全く止ったのか、または同じ瞬間が永続しているのか、どちらか分らなかった。二つは同じようなものであり乍ら、非常に異ったもののように思われた。そしてその二つの間の去就に迷っていると、「夜だな」という感じが遠慮なく侵入して来た。「夜!……夜!」そう頭の中で不思議そうにくり返していると、夢を見ているような心地になった。すると次には、夢を見たような心地に変った。そして自然に頭がその方へぐいぐい引ずられていった。腹の中が急にむかむかして来た。彼は口の中にたまった唾液を呑み下した。すると何かふくよかな匂いが鼻に感じられた。彼ははっと息をつめた。「慶子《けいこ》さん!」何処かに在る幻に彼はそう叫びかけた。そしてがばと身を起した。
すぐに彼は看護婦と中西とから押えられて、また蒲団の中に寝かされた。いつのまにか幻が消えてしまった。身体の節々が重く痛み出した。そして頭の下には氷枕があてがってあることに気付いた。ずきんずきんと頭痛がして、眼に見る物の線がそれにつれてちらちらと震えた。彼は眼を閉じた。
暫くすると頭の中が真暗
前へ
次へ
全32ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング