次第にその間の時間が長くなっていった。夜が明ける頃には、彼の凡ての意識は大きい渦巻きの中に巻き込まれて、ただ惘然としてしまった。
朝日の光りが障子にさした時、彼はじっと壊れた硝子のあたりを見やった。そして誰にともなく云った。
「済みません。」
硝子の代りに、婆さんは白紙を糊ではりつけた。敬助はその手元を眺めた。それから寒い爽かな朝の空が彼の眼にはいった。
「障子を開けてくれないか。」と彼は云った。
「寒くはないか。」と中西が云った。
「大丈夫だ。」
障子が開かれると、眩しい太陽の光りが室の中に流れ込んだ。空は綺麗に晴れていた。庭の樫の木の葉が、露に濡れてきらきら輝いていた。敬助は蒲団の中に首を引込めた。
「やはり閉めてくれ。」と彼は云った。
中西は障子を閉め切ると、敬助の枕頭に寄って来た。そして彼の顔を覗き込んで云った。
「君、しっかりしてくれ給え。それは悲痛だろうけれど、運命は君にそれを求めているんだから。」
敬助は軽く首肯いた。
「中西!」そう敬助は云って、じっと彼の手を握りしめた。涙が眼に湧いて来た。
けれどもその朝彼は、卵黄《きみ》を二つすすっただけで、何も食べなか
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