んで来た。敬助は石のように固くなって其処に眼を見開いていた。一瞬間そのままの時間が過ぎた。それから中西は、慴えている看護婦を促して、敬助を蒲団の中に寝かした。
蒲団の中にはいると、敬助は氷枕がいつのまにか普通の枕に変ってることに気付いた。「生きてる!」ということがまざまざと感じられた。眼をつぶると、慶子の幻が眼瞼のうちに浮んできた。
敬助は身を俯向きにして、悶えた。頭の中に慶子の最後の笑顔と「嬉しい!」と云った言葉とが蘇ってきた。而も両腕の中には永久の空虚が感じられた。その空しい両腕で彼は枕にしがみついた。そして泣き出した。嗚咽が後から後からと胸の底からこみ上げて来た。熱い涙が頬に伝わって流れた。
中西は廊下に落ちていた懐剣を拾い上げた。そしてそれを手にしたまま、其処につっ立って、何か云った。然しその声は、敬助の耳には聞えなかった。
夜が明けるまで、中西と看護婦と婆さんとは、敬助の側に起きていた。
絶望と荒廃と寂寥とのどん底につき当ると、敬助の心は其処で止った。後は両手に頭を抱え込んで、つっ伏したまま動かなかった。思い出したように時々、彼は慶子の名を胸の奥でくり返した。そして
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