人は立ち上った。敬助はしきりに気になった。その時、中西が続いて立ち上ったので、彼は何か言葉を発した。然しそれは声になっては出なかった。三人が室の外に出てしまうと、彼は妙に安心を覚えて、またうとうとと眠ってしまった。……
夜になって敬助は眼を覚した。そして昼よりは少し多量に食物を取った。それからまた眠りに陥った。
夜遅く明け方に近い頃敬助はまた眼を覚した。あたりはひっそりとしていた。中西の姿は見えなかった。看護婦は室の片隅に蒲団の中に蹲って眠っていた。婆さんが褞袍《どてら》を着てつっ伏していた。それを見ると彼は何となく安心を覚えてまた眼を閉いだ。そして、電球に被せてある黒い紗の布がいつまでも眼の中に残っていた。
……とん、とん、とん、と間を置いた物音が何処からか聞えて来た。するといつのまにかそれが人の足音に変った。梯子段を上ってくる音だった。敬助はふと眼を開いた。足音はなお続いた。彼はじっと待っていた。然しいつまでもその足音は梯子段を上りきらなかった。そのうちにふと足音は止んだ。
敬助はぞっと全身に戦慄を覚えた。そしてその恐怖の情が静まると、彼の心は急に暗い淵の中につき落された。
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