。お大事に……。」そして彼女は低くお辞儀をした。
その時、彼女の束髪の下に隠れ去るその白い顔を眼瞼の中にしまい込むようにして、敬助は眼を閉じた。
八重子が帰ってゆくと、凡てを取り失ったような寂しい時間が寄せて来た。障子に当っていた朝日の光りはいつのまにか陰ってしまっていた。室の中にはしっとりとした空気が澱んでいた。もう中西とも何もいうことはなかった。
葡萄酒を一杯、鶏卵の卵黄《きみ》を二つ、鶏肉の汁を一椀、粥を少量、それだけ敬助は食べた。出来るだけ多量に取るようにと看護婦は云ったが、嘔気がしてそれ以上は食せなかった。
「でもまあこれだけ召上れば……。」と云って婆さんは、室の中をうろうろしていた。然し何も彼女の片付けるようなものはなかった。
食物を取ると、敬助は急に嗜眠《しみん》を覚えた。そしていつのまにか力無い眠りに陥っていった。
眠りの中に彼はこういうことを感じた。……高橋と斎藤とが室の入口に坐っていた。中西が彼等と何か話をしていた。言葉は少しも聞き取れなかった。敬助は眼を覚そうとしたが、それが非常に億劫だった。そのうちにも三人は何かしきりに話していた。そして暫くすると、二
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