ませんか。」
「痛みません。」
「嘔気は?」
「ありません。」
「頭痛は?」
「しません。」
 敬助は凡てを否定した。然し実際は、そう云われる身体の遠くにその三つを感ずるような気がした。それから彼は次の問いを待った。然し医者は首を傾げたままいつまでも何とも云わなかった。彼はくるりと寝返りをして向うを向いた。
 医者が帰ってしまうと、急にひっそりとした。敬助は眼をつぶった。長い時間が過ぎた。そのうちにうとうととしていると、後ろで声がした。
「私もう参りますわ。」
 八重子の声だった。敬助は驚いてふり向いた。八重子も喫驚したらしかった。彼女は立ちかけた腰をまた其処に下した。
「覚めていらっしたの?」と彼女は云った。
 敬助は何とも答えなかった。そして、彼女の眼が赤く充血していること、頬に血の気がなくて皮膚が荒れていること、髪が乱れていること、凡て不眠から来る様子に彼はその時になって初めて気付いた。
「済みません。」そう敬助はいった。
 八重子はちらと眼を瞬いて俯向いた。苦しい時間が過ぎた。「ではもう行ったらいいでしょう。」と云う中西の言葉に、彼女は初めて顔を上げた。
「ではまた参りますから
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