した。
「しッ!」と敬助はそれを遮り止めた。梯子段に人の足音がするようだった。耳を澄すと果して静かな足音が梯子段を上って来た。彼はその足音を知っていた。息を凝らしてその方を見つめていると、襖がすうっと開いた。慶子が立っていた。彼女はただじっと敬助の顔をまともに眺めた。彼は何か云おうとした。と俄にその幻がすうっと彼の胸の中に吸い込まれてしまった。金泥で笹の葉を描いた淡黄色の襖が壁のように閉め切ってあった。
彼にはぼんやり凡てのことが分った。彼は眼を閉じて、中西の手を握りしめた。
「中西、すっかり僕に話してくれるか。」
「然し今君は……。」
「いやもう大丈夫だ。僕は慶子さんが死んだことを知っている。ただ詳しいことが知りたいのだ。」
苦しくはあったが不思議にもその言葉は落着いていた。彼は自らそれに心の落ち着きを覚えた。
「うむ、それでは凡て話してあげよう。知っておく方がいいだろう。然し君は今どんなことにもじっと面し得るだけの力があるか。そして……。」
「分ってる。」と敬助はそれを遮った。「理屈はいらない。ただ詳しい事実だけが知りたいのだ。僕は凡てを予期している。云ってくれ、偽りの無い所を
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