のに触れたような気がして、全身を震わした。眼を開くと慶子がじっと彼の顔を見つめていた。二人は食い入るように互の眼の中を見入った。
 ――やがて慶子は静に身を引いた。その顔は一瞬間、凡ての恰好を歪めて苦悶の表情をしていたが、すぐに澄み切った朗かさに返った。高い鼻の細りとした痩せ型の顔が、何ともいえず端正な趣きを呈した。それを見ると、敬助はどうしていいか分らなかった。彼は机の上につっ伏して眼を閉じた。あらゆるものが頭の中から消え失せた。底知れぬ寂寥の感が全身に上って来た。そしてどれだけ時間がたったか覚えなかった。
 ――何か、かたっという音が机の上にした。敬助はふと顔を上げた。慶子は火鉢の前に端坐して、眼を閉じ、両手を膝の上に組んでいた。彼はじっとその姿を見つめた。と俄にはっとして両肩を聳かした。首根ががくりとした。それは一種本能的な直覚だった。顧みると、机の上に小さな紫の壜がのっていた。彼はそれを手に取り上げた。壜の底の方に、紫の硝子を通して見らるる重そうな溶液が少し残っていた。
 ――その時慶子は顔を上げて、彼の眼をじっと見入った。全く表情を没した大理石のような顔だった。そしてその一筋
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