住宅と称したほどである。だが、それらのことを以てしても、或はそれらのことを越えて、人間は自然に負けているのだ。これは、近代文明生活に於ける人間と自然との地位的関係から云うのではない。単に文化の問題から云うのである。
 文化の問題から観て、人間が自然に負けてるということは、自然は既に明かに独自の性格を具えているが、人間文化は未だ独自な性格を具えていない、とそれだけの意味にしてもよろしい。台湾には台湾としての性格があるべきだ。それはただ台湾の自然にだけしか求められないものであろうか。
 前述の通り、台湾定住の内地人は甚だ少い。随って日本文化は、台湾に浸潤してるどころか、卑俗な面の移植でさえも局限されている。高砂族の文化は、まず文化以前の程度と云ってよかろう。本島人の文化は、悉く支那文化の末流である。この例は、本島人の記念的邸宅に見られる。板橋の故林本源氏邸は、その構造が正規のものとして優れてはいるが、建物や庭などそれ自体は、支那本土の有数な邸宅に比ぶれば甚だしく佗びしい。霧峯の林献堂氏邸は、名家の邸宅だけあって、文官府や武官府など数々のものを包括しているが、支那本土のものに比ぶればやはり佗
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