う。茲にそれを穿鑿する隙はないが、ただ一言にして云えば、この豊かな自然の中に於ても、吾々は或る淋しさを感ずるのである。
台湾の国民学校は規模甚だ広大なものが多いが、その一つの校庭で、或る夕方、同行の窪川稲子さんは、台湾の夕方は不思議に淋しさを感じる、と云ってなにかしら黙然としていた。この窪川さんの言葉は、単に学校の校庭の夕方に於けるものではなく、もっと広汎な意味を持つものだとして私は頷いた。
一口に云ってしまえば、台湾では、自然が人間に勝っている。人間は自然に負けている。そこに淋しさがあるのだ。固より、台湾は至る所開拓されているし、雑草や埃に蔽われた大道路も四方へ延びてるし、深山幽谷に至るまで、嘗ての生蕃工作の名残りとして、警察小屋があり、山路が通じている。また本島人の田舎町にも、目貫の大通りが穿たれ、規格通りの商店建築が並んでおり、全く独特な南支那風都市として名高かった鹿港の如きも、すっかり近代風に変容してしまっている。また、高砂族の部落も殆んど凡て、山地から平地へ移ってき、花蓮港付近の部落の如きは、石垣と竹垣と塵一つ留めぬ庭と小綺麗な板小屋とで出来ていて、同行の村松梢風君が文化
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