き、井手氏は中途で建造を放擲した由であるし、現在、全体と細部との観念の不統一が観取される。それにしても、この建築は特殊な美観を持っているし、井手氏の創意を尊敬せしめる。
 斯かる創意が、台湾の各方面に要望されるのである。彰化の八卦山頂の北白川宮殿下記念碑は、凡そ記念碑としての優秀なものである。台南市の駅前から銀座通りへ至る間の鳳凰木の並木は、凡そ並木としての秀逸なものである。其他いろいろ挙げたいものも多少はある。そして更に、将来に対して多大な創意が要望される。文学についても然りである。
 台東からさほど遠からぬ処に、知本温泉というのがある。河原の中に温泉が湧き出し、そこに小屋掛してあって、土地の人々が浴する。その河岸の広場が、台東から枋寮へ至るバスの休憩所の一つとなっている。この広場に、少女が立っていた。竹の皮で造った三角形の所謂台湾笠をかぶり、笠のふちから肩へかけて、花模様の布を垂らし、青布に細帯の姿で、足は大地にじかに跣である。この少女の顔容、この上もなく健康で端麗で、吾々同行者一同期せずして、彼女を以て台湾一の美人だとした。
 この少女のイメージを、台湾に於ける文学者達、「台湾文学」や「文芸台湾」などに拠ってる人々に、象徴として提出してみたい。文学の独立発展のために彼等は骨折っている。ところで、台湾に於ける文学が、東京の主流に対立して何等かの独自性を獲得することを目指す場合、それを往々にしてエグゾチスムに陥るし、民衆の生活をいとおしんでレアリスムに徹しようとする場合、それは往々にして発展を阻害されるものに突き当る。そういう意見を彼等の中から私は聞いた。知本のあの美しい少女のように、大地を跣でしかとふまえながら、美しい顔容でつっ立つことが、文学では出来ないものであろうか。台湾笠に模様布をつけるという珍らしい装いは、思想の飛躍と考えてよかろう。ただ悲しむべきは、レアリスムに徹することによって発展が阻害されることもあるという、その事実である。
      *
 おかしな事実がある。
 北投温泉といえば有名だ。それは台北から汽車で僅か三十分の距離で、湯の量は豊富、溪流に沿って林間に旅館が点在し、同宿の村松梢風君はここを小箱根と称した。その某旅館でのことだが、或る夜、檜の床柱の一本が、ギイギイ鳴りだした。立上って見調べても異状はない。手で叩いてみても音はやまない。柱の或る箇所が、しきりにギイギイ鳴るのである。そのうちに音はやんだ。ところが、翌日の夜、こんどは餉台が鳴りだした。漆ぬりの丈夫な餉台で、どこにも異状はないのに、ただギイギイ鳴ってやまない。やがて横手の柱も鳴りだした。それが十分間ばかり続いた。その翌日の夕方、夕食の餉台に向うと、突然、脇息が鳴りだした。これには私達も驚いて、思わず腰を浮かした。そういうことが、村松君の室にも起るし、隣りの私の室にも起った。――これだけならば、全くの化物屋敷だ。
 このギイギイ鳴る音の本体は、木材の中に住んでる虫であった。立木のしんをかじる鉄砲虫の幼虫のことは私も知っている。その幼虫に似た虫だそうだが、柱や家具などの乾燥した木材の中に育ってその中身を食い荒す虫のことを、私はまだ聞いたことがない。昆虫学者に尋ねてみる隙も未だ持たない。ただ、あのままではあの家はあの虫に食いつぶされるだろう、とそう思われるのである。
 この虫の印象は、なにか不吉なものを持っている。茲で私は、台湾が自身を食いつぶす虫を身内に持っていると、そんなことを諷諭するつもりでは決してない。かかる虫をさえも駆除しないという、その怠慢さが気になるのである。何か熱情の足りなさが気になるのである。
 ここに、雑多な印象が一度に蘇ってくる。
 台湾では、耕作には主に水牛を使っている。これは甚だ便利な動物である。野外に眠るし、炎暑の折は水に浴するし、食料としては穀物を与えずとも野草で足りる。その上に肥料を供給してくれる。――だが、稲田で除草をしてる本島人の姿は奇である。彼等は内地人のような屈み方ではなく、泥の中に膝ついて、膝頭でのろのろと匍っている。
 本島人の飲食店は、すべて支那風で、見たところ乱雑であるが、然し食器類を熱湯で洗う衛生的な習慣は、本格的なところで守られている。――だが、感覚は鈍い。裏町の狭小な門口に、土の凸凹があっても、それを鍬で平らにすることなく、大きな石が転っていても、それをなかなか取除けない。かかる無関心さは徹底的である。
 台北にはうまい食物市場がある。江山棲前市場には、毎夜、百以上の屋台店が並んで、鶏肉や魚肉や豚の耳などが豊富にある。永楽市場の一隅にも、毎昼、豊富な屋台店が出る。ここで飲食してる本島人の生活力が思われる。――だが、本島人の上流階級はなかなかこんな場所に立寄らない。内地人も全体的にそうである。普通
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