台湾の姿態
豊島与志雄
台湾の印象は、まず山と川から来る。比類ない断崖と深潭と高峯とを以て成るタコロ峡のことは、ここに云うまい。また、蘇澳から花蓮港に至る間の海岸絶壁を縫うバス道のことも、ここに云うまい。それらは余りに有名だからである。然し、台湾東部の山と川はすべて、一般に強い印象を与える。
台湾には、一万尺を越える高山が主峯だけでも四十八ある。それらの峯は大体、岩層と風化との関係で、西方が削ぎ取られて、謂わば西天に向って屹立している。然しそれらの峯を載せた中央山脈は、東海岸寄りに連っていて、東側に於て急峻であり、随って、東側に於て谿谷も深い。狭い平地に独立してる山々も、みな急峻である。
それらの山々は、麓と中腹と頂とが、同時に人に迫ってくる。山というものは、普通、人がそれに向って進む時、麓や中腹は次第に人に迫ってくるが、頂は後方に逃げてゆくものだ。頂上は捉え難く、裾だけが捉え易い。然し台湾東部の山々はそうでなく、麓や中腹と共に、頂までがじかに人に迫ってくる。寧ろ頂が真先に人に迫ってくる。
花蓮港の付近を散歩する時、このことが最もよく感ぜられる。それらの山々は、裾から頂上まで、密林の濃緑をまとって、頂から真先に人にじかに迫ってくる。否、一歩戸外に踏み出すや否や、山々はそういう姿勢で其処に在る。海岸沿いに舟をやれば、天空から山の頂が威圧してくる。東部の山々は大体、そういう姿勢を多少とも取っている。
それらの山に伴って、また特殊な河川がある。花蓮港庁や台東庁の地図を見れば、無数の細長い湖水があるのに驚かされる。だが、それらの水色の湖水は、現実には単なる河床に過ぎない。或はごろた石の、或は砂利や砂の、広い河床であって、雑草が茂り、自由耕作がなされてる部分もある。それが、大雨に及ぶと、山水が一時に注ぎこんできて、全面的に河となる。山裾から山裾への谷間――狭い平地――を全面的に蔽いつくす河流となる。そしてまた暫くして、元の河床に復帰する。台湾の多くの河は、何々河と称せず、何々溪と称するが、言葉の起源は別として、この溪という語感は東部の河にぴたりとあてはまる。大きな河としては殆んど唯一の呼称たる淡水河が、河の語感によく妥当するのと同様である。
東部のそれらの山と溪とに、私は台湾の熱情を見る。地上の自然界の熱情である。これに比ぶれば、天然樟樹の森も、椰子の林も、蘇鉄ばかりの山も、見渡す限りの甘蔗畑も、甚だ微弱なものと云わねばならない。熱帯と亜熱帯とに亘る本島の炎暑も、さほどのものではない。
溪の水量の激変は大なる熱情の変動を思わせるが、温度の変化は熱情的というよりも寧ろ病的である。台湾の気候は大体、北部と南部とでは、その雨期と乾燥期との時期に於て対蹠的であるが、その変化目の――例えば四月頃の気候は、病的というの外はない。冬服の気温から単衣一枚の気温に至る間を、幾度も往復する。日によって変るし、一日のうちでも朝夕に変る。北方の台北に於てばかりでなく、南方の高雄に於てもそれが多い。この気温の不順不同は、所謂三寒四温どころのものでなく、ヒステリックである。この季節、気温に敏感な人々は、ヒステリーの妻と一緒に暮してる思いがするだろう。
固より、ヒステリーのうちにもコンスタントなものはある。竹風蘭雨などはその一つだろう。新竹州あたりは常に強風が多く、田畑の畦には竹などを並べ植え、道路わきにはモクマオウを移植して防風林とし、農作物其他への被害を防いでいる。また、宜蘭方面から基隆方面へかけては、雨が非常に多く、基隆のことを洒落て雨港とも称するほどである。この基隆港の雨は、台北に至る汽車沿線地域の痩せた土地と相俟って、台湾旅客の初印象を甚だ貧寒なものにする。だが、この新竹の風も宜蘭の雨も、実は取りたてて云うほどのものではない。気候のヒステリーの方がよほど人にこたえる。
そういうヒステリックな気候にも拘らず、台湾の春はやはり豊かである。草木の繁茂は云うまでもなく、花も豊か、果物も豊かだ。果物の秀逸はパパイヤであろうか。その味はバナナにまさることは勿論であるが、マンゴーには及ばない。その代り、マンゴーや柑橘類が季節的であるのに反して、パパイヤだけは一年中常に結実する。数顆が熟する頃には、その上の一節には次の数顆が既に成長している。四季ともにそうなのである。製糖会社にしても、甘蔗の糖分の稀薄な夏季は工程を休み、機械の手入れをするだけに止める。然しパパイヤは一年中休みなくその結実成熟の工程を続ける。
パパイヤは固より南国的なものであるが、台湾の春には、極めて日本的なものがある。栴檀の花とペタコとがそれである。栴檀の薄紫の花の香は、この南国の空に日本への郷愁を漂わせる。その香気の中にペタコが鳴く。この頭の白い小鳥の声は、鶯の囀りを少しく縮めたも
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