は、涙を眼にいっぱいためて鼻をすすっていた。新らしい銚子を求めて、手酌でたて続けにのみながら、ふいに、そんなことはどうだっていいと云い出した。どうだっていいというのは、よくない証拠だ。彼は云った。自分は、郷里の家を飛び出したが、そこには、小学校に通ってる子供が二人ある。姉と弟で、珍らしいほど仲がよい。おやつのお菓子をやると、入念に等分して、打揃ってからでないと食べない。どちらかが先に外から帰ってくると、必ずも一人のことを尋ねる。一緒の時間に、待ち合して床につく。その二人が、私を待ってるに違いない。外を出歩きがちだったから、一日二日は平気だったろう。然し三日目頃から、私の帰りを待ち初める……。朝起きた時、学校から帰った時、就寝の時、お父さんは……と私の帰りを待ってるのだ。私が行方をくらまして、生死も知れずになっても、やはり待ち続けるだろう。小さな心は、大きな庇護の力たる父を、いつまでも待ち続けるだろう。――その待望を、そのままにしておいてやった方が、彼等にとって幸福か、或は、死体を以てその待望をぶち切ってやった方が、彼等にとって幸福か、どちらだ?……そう彼は怒鳴った。
      *

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