待つ者」の話はそれだけである。
さて、そのことがあってから、私はその中年の男と急に親しくなった。東京から五十里ほど離れた町からの彼の出奔の事情も、ほぼ分った。恋愛もあり、経済上の破綻もあり、種々の義理もあった。なぜ死ななかったのか、と尋ねると、彼は答えた、世の中には人の力でどうにもならない運命的なことがあるものだと。
其後、私は彼の許しを得て、事情を少し変えて、それを小説に書こうと思った。ところが、そうした事実を小説にするためには、つまらないことや私に興味のないことを、如何に多く書かねばならないかを発見して、がっかりした。而も、それだけの努力を敢てしてみたところで、世の中には人の力でどうにも出来ない運命的なことがある、という核心は、到底掴めそうになかった。それは、「待つ者」の話が或る種の人々に暗示するかも知れないと思われる、メーテルリンク式の運命的なものとは、全然ちがったものである。彼の主観の最奥に横たわってる運命的なものは、抽象的に拵えあげられた運命などというなまやさしいものではない。恋愛や倒産や義理など、つまらない浮世の事情からにじみ出したものではあっても、ぎりぎりのところへま
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