んじて世話になったのは、恐らく、死後も面倒をみて貰うことになった三社、新潮と筑摩と八雲とであったろうか。
あの日も太宰は酒を集めてくれた。ばかりでなく、さっちゃんをあちこちに奔走さして、いろいろな食物を買って来さした。私の娘が結婚後も家に同居していて、その頃病気で伏せっていたのへも、お見舞として、バタや缶詰の類を買って来さした。
おかしいのは、鶏の料理だ。だいぶ前、太宰が来た時、私は彼の前で鶏を料理してみせたことがある。へんな鶏で、雌雄がわからず、つまり、子宮も睾丸も摘出できなかったという次第で、大笑いとなった。こんな血腥いこと、太宰としては厭だったろうと思われるのに、案外、彼は興味を持って、其後、よそで、自ら執刀し、そこら中を血だらけにしたという。私はそれを聞いていたし、前回の失敗を取返したくも思い、丸のままを一羽求めて来さして、食卓の上で手際よく解剖してみせた。ところがその鶏、産むまぎわの卵を一つ持っていて、まだ殼がぶよぶよしてる大きいのが出て来て、私も、むろん太宰も、ちょっと面喰った。
酒の席でまで文学論をやることは、太宰も私も嫌いだ。政治的な時事問題なども面白くない。話は
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