豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)踝《くるぶし》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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 寝台車に一通り荷物の仕末をして、私は食堂車にはいっていった。暑くてとても眠れそうになかったので、ビールの助けをかりるつもりだった。ビールを飲めば、後で却って暑くなることは分っていたが、どうせ暑いんだから、多少酔った方がごまかしがつく……とそう考えたのだった。
 食堂の中はこんではいなかったが、それでも五六人の客が、方々の卓子で、酒を飲んだり料理を食ったりしていた。私は片隅の方に腰かけて、一寸した料理とビールとを取った。丁度箱根の山にさしかかったところなので、窓は開けられなかったが、煽風器の風のあおりで、いくらか涼味があった。
 そこで出来るだけゆっくり時間をつぶして、それから喫煙室にはいってみた。夜更けのことで誰もいなかったので、そこでまた暫く時間をつぶした。
 いつまでそうしてもおれないので、自分の寝台へ戻っていった。どの寝台も寝静まって、カーテンがはたはたと揺めいているきりだった。
 ところが、私は喫驚して立止った。中程に一つぽかんと口を開いてる私の寝台の、すぐ上の段のカーテンの裾のところから、こちら向きに、人の足がぶら下っていた。膝から先だけのむき出しな片足で、だらりと垂れ下って、それが列車の動揺につれて、ゆらゆら……ゆらゆら……手招きでもするように動いていた。
 よく見ると、死人の足でもなさそうだった。
 寝呆けてるんだな。
 そう思ったとたんに、足が寝呆けてると口の中でくり返して、私は一人で可笑しくなった。
 が不思議な足だった……というよりも、初めてつくづくと眺めたので、不思議だったのかもしれない。
 浅黒い男の右の足だったが、見れば見るほど変な恰好に思われてきた。向う脛の骨が張子の骨のように際立って見える、痩せた細長いやつで、黒い毛が一本一本粗らになって生えていた。それが次第に、骨と皮ばかりに細っていってる先に、踝《くるぶし》の骨が腫物のように高まって、そこから、がくりと斜めに折れ曲って、馬鹿に大きな足先きとなっていた。太い針金のような筋が甲に五本分れ出て、細長い先の円い指を吊していた。その指が少し上向き加減にうち開いて、守宮《やもり》の足の指のように見えた。それが、その全体が、ゆらゆら……ゆらゆら……何かを招いているようだった。
 寝呆けやがって……化けるな、化けるな。
 ビールの酔も手助って、私はそんなことを腹の中でくり返しながら、そっと足先を通りぬけた。
 然し、愈々寝る段になると、足のぶら下ってる下にもぐりこむのは、どうも我慢がならなかった。
 私は手を伸して、上の寝台の縁をこつこつ叩いた。
「危いですよ……落ちますよ……足が落ちかかっていますよ……足が……。」
 カーテンの中で、眼ざめた息の音《ね》がした。
「危いですよ。足が落ちかかっていますよ。」
「それは……どうも……有難う。」
 と同時に、足がすっと引込んでしまった。私はほっと安心して、寝台の中にもぐり込んだ。そしてカーテンを引いた。
 ところが何だか変に眠れなかった。その上、列車は間もなく沼津駅に停車して、夜更けの駅の淋しい物売りの声などに心惹かれて、眼は益々冴えて来た、私は仕方なしに、雑誌を取出して、カーテンを少し開いて、薄暗い中で読み初めた。がそれも気乗りしなかった。いつしか雑誌を投り出して、先刻の足のことなんかを考えていた。
 その男は、東京か横浜あたりから乗り込んで、十時に私が国府津で乗車した時には、もう寝入っていたに違いない。なぜなら、上の段にいる彼の存在が、少しも私の気にとまらなかったから。そして彼は、私が食堂にいってるうちに、熟睡の余り足を投げ出したのだろう。……それにしても、汽車の寝台から、それも下の段ならまだしも上の段から、足をぶら下げるなんて、随分思いきった不作法な寝相だ。そして……片足だけのところをみると、或は一本足か跛足か、そういった不具者かも知れない。……然し、ぶら下る足はみんな片足にきまってる。伝説の中だって……。夜遅く、ぶらりと馬の足が天からぶら下る。それが、四本の足でなくていつも一本きりだ。……だが、人の足がぶら下るのは、まだ聞いたことがない。二十世紀のハイカラなお化かな。汽車の中とは振ってる……。
 私はもううとうととしていたらしい。先刻の足がばかに大きなものとなって、妖怪味を具えていった。薄暗い電燈、カーテンの揺れ、車輪の響き、何かしら途方もない夜汽車内の幻想、そんなものが私を夢現《ゆめうつつ》の中に誘っていった。
 ど
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