家ももうだめですよ。」
それは彼女の持論だった。二階には誰も寝なくてよいということが、どうも納得ゆかないらしい。彼女が一階に寝ることは、二階を誰か他人に空け渡すことで、そうなっては、白井家ももう全く没落だと思ってるのである。
戦時中、地方へ疎開することが問題になったが、カヨはどうしても自家を離れたがらなかった。利根川べりの知人の家に適当な室が見付かって、東京からさほど遠くもないのに、彼女はそこへ行くことを承知せず、ごたごたした揚句、久子だけが幼児を連れて疎開することになった。それも、東京空襲が始まってからのことで、荷物はもう余り運べなかった。それから家には、罹災者の寄寓がふえ、遂には家も焼けてしまった。直接に焼夷弾を受けたのではなく、つまり類焼ではあったが、桂介は老母を連れて避難するのにたいへん苦労をした。
自家のその焼け跡に、土蔵が破損しながらも立ち残ってるのを見て、カヨは眼に涙をためて喜んだ。
「土蔵が残ったよ、土蔵が。」
そして終戦後、焼け跡に小さな家でも建てようかという話になった時、カヨは断然反対し、土蔵の中に住めばよいと主張した。他の家作も炊けてしまい、資産も心もとな
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