れでもカヨは、白猫を抱いて日向ぼっこに表へ出ることは、少くなった。もう樹々の若芽も出かかっているのに、二階の薄暗い室に籠りがちなのである。
ところが或る日、彼女は炊事場をかきまわし、久子を呼んで、塩はこれきりかと尋ねた。小さな壜に少ししかはいっていない。久子は塩の壜を持ち出した。それで全部なのだ。家にありったけのその塩を、カヨは笊にあけ、黙って、裏の笹藪の方に出て行く。久子もついて行った。
小さな竹が粗らに立ってる藪のはじの、朽葉のなかに、蔓が二本はえている。足がひょろ長く、傘が薄く、大きく全体に黄色みを帯びている。季節外れの見馴れない蔓だ。その蔓を、カヨは下駄で踏みにじり、あたり近所に塩をふり撒き、笊まで裏返してぱっぱっとはたいた。ひどく不機嫌そうで、久子の方をじろりと見たが、何とも言わずに立ち去ってゆく。
久子はなにか不吉な感じを受け、意外なことを思い出した。カヨは時とすると、桂一にお噺をしてきかせる。短い昔噺だが、訳の分らないへんなのもある。
――むかし、或るところにお化屋敷があった。荒れはてた庭に、大きな蔓がいっぱい生えている。それが化物だった。化物退治に、力の強い人や武芸の秀でた人が、次々に出かけたが、庭にはいると、大きな蔓の傘におっかぶせられ、その傘がじわじわ縮まってきて、息絶えてしまう。
勝つ者が[#「 勝つ者が」は底本では「勝つ者が」]なかった。ところが、一人の智恵者があって、塩をたくさん持って出かけ、蔓の上にふりかけると、蔓はしぼんでしまう。そしてみごとに、蔓の化物を退治してしまった。
わきから聞きかじったその噺を、久子は思い出した。塩は何のまじないなのであろうか。不吉な上に嫌な気持ちだった。
カヨは手を洗って、独語のように言う。
「蔓が生えるようでは、この家もあぶなくなった。」
そして久子に、卵酒を拵えてくれと頼んだ。
カヨが昼間から酒を飲むことは、これまでになかった。特別なことで、草のせいなのであろう。
二階がいつまでもひっそりしているので、久子は階段をそっと昇って、覗いてみた。カヨは卵酒を飲んで、そのお盆を階段口に押しやり、机の上に写経の巻物をひろげ、その上に両手を置き顔を伏せて、眠っている。坐った姿は小さく、頬は白く、赤毛や白毛の髪が、少し乱れたまましんと静まっている。猫の姿は見えなかった。その猫を眼で探すことさえ久子は
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