きなり室から出て行った。水で頬辺を冷しに行った。だが、何のこともなかった。念入りに化粧を直して、戻ってきた。
皆の視線が彼女を迎えた。その交錯《こうさく》した十字火の中に、彼女は微笑んではいっていった。矜持! そういった気持が動いた。自分の商品の価値を知ってる商人の誇だ。誰が何と云おうと、誰と取引しようと、清らかな美しい肉体が。躓《つまず》かないでよかった。よく持ちこたえた。けだもの、畜生! そういう叫びを胸の底にひそめて、彼女は、のびのびと首をそらして、善良そうに微笑んでいた。
「いやーね。」八重次が彼女の背を叩いた。「あたしの方がびっくりしちゃったわよ。」
澄代の眼が情熱的に光っていた。岡野は眼を外《そ》らした。
「御免なさい。」
誰にともなくそう云って、吉乃は晴れやかに笑った。
底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1−13−23])」未来社
1966(昭和41)年8月10日第1刷発行
初出:「改造」
1929(昭和4)年12月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
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