人形使い
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)田舎《いなか》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二|度《ど》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]
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一
むかし、ある田舎《いなか》の小さな町に、甚兵衛《じんべえ》といういたって下手《へた》な人形使《にんぎょうつか》いがいました。お正月だのお盆《ぼん》だの、またはいろんなお祭《まつ》りの折《おり》に、町の賑《にぎ》やかな広場に小屋《こや》がけをして、さまざまの人形を使いました。けれどもたいへん下手《へた》ですから、見物人《けんぶつにん》がさっぱりありませんで、非常《ひじょう》に困《こま》りました。「甚兵衛の人形は馬鹿《ばか》人形」と町の人々はいっていました。
甚兵衛は口惜《くや》しくてたまりませんでした。それでいろいろ工夫《くふう》をして、人形を上手《じょうず》に使おうと考えましたが、どうもうまくゆきません。しまいには、もう神様《かみさま》に願《ねが》うよりほかに、仕方《しかた》がないと思いました。
どの神様《かみさま》がよかろうかしら、と甚兵衛はあれこれ考えてみました。町にはいくつも神社《おみや》がありましたが、上手《じょうず》に人形を使うことを教《おし》えてくださるようなのは、どれだかわかりませんでした。さんざん考えあぐんだ末《すえ》、いっそ人のあまり詣《まい》らぬ神社《おみや》にしようと、一人できめました。
町の裏手《うらて》に山がありまして、その山の奥《おく》に、淋《さび》しい神社《おみや》が一つありました。甚兵衛は毎日、そこにお詣《まい》りをしました。あたりには大きな杉《すぎ》の木が立ち並《なら》んでいて、昼間《ひるま》でも恐《おそ》ろしいようなところでした。けれども甚兵衛《じんべえ》は一心になって、どうか上手《じょうず》な人形使いになりますようにと、神様《かみさま》に願《ねがい》いました。
ある日のこと、甚兵衛はいつものとおりに、その神社《おみや》の前に跪《ひざまづ》いて、長《なが》い間《あいだ》お祈《いの》りをしました。そしてふと顔《かお》をあげてみますと、自分のすぐ眼《め》の前に、真黒《まっくろ》なものがつっ立っていました。甚兵衛はびっくりして、あっ! といったまま、腰《こし》を抜《ぬか》さんばかりになって、そこに倒《たお》れかかりました。するとその真黒《まっくろ》なものが、からからと笑《わら》いました。甚兵衛は二|度《ど》びっくりして、よくよく眺《なが》めますと、それは一匹の猿《さる》でした。
「甚兵衛さん、甚兵衛さん」と猿《さる》はいいました。
甚兵衛は口をあんぐり開《あ》いたまま、猿《さる》の顔《かお》を眺《なが》めていました。それを見て猿《さる》はまた笑《わら》いだしながら、いい続《つづ》けました。
「甚兵衛さん、なにもびっくりなさることはありません。私はこの神社《おみや》に長く住《す》んでいる猿《さる》でありますが、人間のように口を利《き》くこともできますし、どんなことでもできます。あなたが毎日|熱心《ねっしん》にお祈《いの》りなさるのを感心して、上手《じょうず》に人形を使うことを教《おし》えてあげたいと思って、ここにでてまいったのです。けれどもその前に、あなたに一つお頼《たの》みしたいことがありますが、聞《き》いてくださいますか」
そういう猿《さる》の声がたいへんやさしいものですから、甚兵衛もようよう安心しました。そして答《こた》えました。
「お前さんが私を上手《じょうず》な人形使いにしてくれるなら、頼《たの》みを聞《き》いてあげよう」
そこで猿《さる》はたいそう喜《よろこ》びまして、頼《たの》みの用をうち明けました。用というのは、大蛇《おろち》を退治《たいじ》することでした。いつの頃《ころ》からか、山に大蛇《おろち》がでてきまして、いろんな獣《けだもの》を取っては食《た》べ、猿《さる》の仲間《なかま》までも食《た》べ初めました。それでこの猿《さる》は、さまざまに工夫《くふう》をこらして、大蛇《おろち》を山から逐《お》い払《はら》おうとしましたが、どうしても敵《かな》いませんでした。そして甚兵衛《じんべえ》に、大蛇退治《おろちたいじ》を頼《たの》んだのでした。
「お前はなんでもできるといったのに、大蛇位《おろちぐらい》なものに負《ま》けるのかい?」と甚兵衛はいいました。
「はい」と猿《さる》は面目《めんぼく》なさそうに答《こた》えました。「智慧《ちえ》でなら誰《たれ》にも負《ま》けませんが、力ずくのことは困《こま》ってしまいます。甚兵衛さん、どうかその大蛇《おろち》を退治《たいじ》てください」
甚兵衛もそれには困《こま》りました。なにしろ相手《あいて》は大蛇《おろち》ですもの、へたなことをやれば、こちらが一呑《ひとの》みにされてしまうばかりです。長い間《あいだ》考えこんでいましたが、いい考えを思いついて、はたと額《ひたい》を叩《たた》きました。
「そうだ、これなら大丈夫《だいじょうぶ》。ねえ猿《さる》さん、お前は猿智慧《さるぢえ》といって、たいそう利巧《りこう》だそうだが、案外《あんがい》馬鹿《ばか》だなあ。今私が大蛇《おろち》を退治《たいじ》てあげるから、見ていなさいよ」
甚兵衛は急《いそ》いで家へ帰《かえ》りまして、綺麗《きれい》な女の人形を一つ取り、その中に釘《くぎ》をいっぱいつめて、釘《くぎ》の尖《とが》った先《さき》が、皆《みな》外の方に向《む》くように拵《こしら》えあげました。それを持《も》って猿《さる》の所へもどってきました。
「そんな人形をなんになさいます?」と猿《さる》は不思議《ふしぎ》そうに尋《たず》ねました。
「まあいいから、私のすることを見ていなさい」と甚兵衛は答《こた》えました。
彼《かれ》は猿《さる》に案内《あんない》さして、大蛇《おろち》のでてきそうなところへ行き、そこに女の人形を立たせました。そして猿《さる》と二人で、大蛇《おろち》に見つからないような蔭《かげ》に隠《かく》れて、じっと待《ま》っていました。
しばらくすると、ごーと山|鳴《な》りがしてきまして、向《むこ》うの茂《しげ》みの間《あいだ》から、樽《たる》のように大きな大蛇《おろち》が、真赤《まっか》な舌《した》をぺろりぺろりだしながら、ぬっと現《あら》われでました。大蛇《おろち》は人形を見ると、それを生きた人間と思ったのでしょう、いきなり大きな鎌首《かまくび》をもたげて、恐《おそ》ろしい勢《いきおい》で寄《よ》ってきました。そして側《そば》に寄《よ》るが早いか、その大きな身体《からだ》で、ぐるぐると人形に巻《ま》きついて、力いっぱいにしめつけました。ところが人形には、薄《うす》い着物《きもの》の下に釘《くぎ》がいっぱい、尖《とが》った先《さき》を外に向《む》けてつまっているのです。いくら大蛇《おろち》でもたまりません。柔《やわら》かな腹《はら》の鱗《うろこ》の間《あいだ》に、一|面《めん》に釘《くぎ》がささりまして、そこから血《ち》が流《なが》れだし、そのまま死《し》んでしまいました。
二
首尾《しゅび》よく大蛇退治《おろちたいじ》ができましたので、猿《さる》はたいへん喜《よろこ》びました。
「お蔭《かげ》で山の中の獣《けもの》は、皆《みな》助《たす》かります。これから、お約束《やくそく》ですから、上手《じょうず》に人形を使うことを、あなたにお教《おし》えしましょう。ただ黙《だま》って、私のいうとおりになさらなければいけませんよ」
甚兵衛《じんべえ》は承知《しょうち》しました。猿《さる》は甚兵衛の家へやってきました。そして家にある人形を皆《みな》売ってしまいなさいといいました。甚兵衛は人形を残《のこ》らず売ってしまいました。すると猿《さる》はいいました。
「三日の間《あいだ》、この人形|部屋《べや》にはいってはいけません。三日たったらこの部屋《へや》においでなさい、すると大きな人形が一つ立っています。その人形はなんでも、あなたのいうとおりにひとりでに動《うご》きます」
甚兵衛《じんべえ》は不思議《ふしぎ》に思いましたが、ともかくも猿《さる》のいうとおりにして、三日間人形|部屋《べや》の襖《ふすま》を閉《し》め切って置《お》きました。猿《さる》はどこかへ行ってしまいました。三日たってから、甚兵衛はそっと人形|部屋《べや》を覗《のぞ》いてみました。すると部屋《へや》の真中《まんなか》に、大きなひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]の人形が立っています。
甚兵衛はびっくりしましたが、猿《さる》の言葉《ことば》を思いだして、手をあげろと人形にいってみました。人形はひとりでに手をあげました。歩けと甚兵衛はいってみました。人形はひとりでに歩きだしました。それから、踊《おど》れといえば踊《おど》るし、坐《すわ》れといえば坐《すわ》るし、人形はいうとおりに動《うご》き廻《まわ》るのです。甚兵衛は呆《あき》れ返《かえ》ってしまいました。そしてぼんやり人形を眺《なが》めていますと、その背中《せなか》が、むくむく動《うご》きだして、中から、猿《さる》が飛《と》びだしてきました。
「甚兵衛さん、びっくりなすったでしょう。なあに、私が中にはいっていたんです。あの人形は空《から》っぽで、背中《せなか》に私の出入口がついてるのです。大蛇《おろち》を退治《たいじ》てくださったお礼に、これから私が人形を踊《おど》らせますから、それであなたは一|儲《もう》けなさい。私も山の中より町の方が面白《おもしろ》いから、御飯《ごはん》だけ食《た》べさしてくだされば、長くあなたの側《そば》に仕《つか》えて、人形を踊《おど》らせましょう」
なるほど猿《さる》が中にはいっておれば、人形がひとりでに踊《おど》るのも不思議《ふしぎ》ではありません。甚兵衛は手を打《う》って面白《おもしろ》がりました。
やがて町の祭礼《さいれい》となりますと、甚兵衛《じんべえ》は一番|賑《にぎ》やかな広場に小屋《こや》がけをしまして、「世界一の人形使い、独《ひと》りで踊《おど》るひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]人形」という看板《かんばん》をだしました。町の人たちは、あの馬鹿《ばか》甚兵衛がたいそうな看板《かんばん》をだしたが、どんなことをするのかしらと、面白半分《おもしろはんぶん》に小屋《こや》へはいってみました。
正面《しょうめん》に広い舞台《ぶたい》ができていました。間《ま》もなく甚兵衛は、大きなひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]の人形を持《も》ちだし、それを舞台《ぶたい》の真中《まんなか》に据《す》えまして、自分は小さな鞭《むち》を手に持《も》ち、人形の側《そば》に立って、挨拶《あいさつ》をしました。
「この度《たび》私が人形をひとりで踊《おど》らせる術《じゅつ》を、神《かみ》から授《さず》かりましたので、それを皆様《みなさま》にお目にかけます。このとおり人形には、なんの仕掛《しかけ》もございません」
そういって彼《かれ》は、手の鞭《むち》で人形を二、三|度《ど》叩《たた》いてみせました。それから鞭《むち》を差上《さしあ》げていいました。
「歩いたり、歩いたり」
人形は歩きだしました。
「廻《まわ》ったり、廻《まわ》ったり」
人形はぐるぐる廻《まわ》りました。
「踊《おど》ったり、踊《おど》ったり」
人形はおかしな恰好《かっこう》で踊《おど》りました。
「飛《と》んだり、跳《は》ねたり」
人形は飛《と》び跳《は》ねました。
見物人《けんぶつにん》は驚《おどろ》いてしまいました。なにしろ人形が独《ひと》りで動《うご》き廻《まわ》るのは、見たことも聞《き》いたこともありません。皆《みな》立ちあがって、やんやと喝采《かっさい》しました。中には不思議《ふしぎ》に思う者もあって、舞台《ぶたい》を調《しら》べてみたり、人
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