形を検査《けんさ》したりしました。けれどももとより、舞台《ぶたい》にはなんの仕掛《しかけ》もありませんし、猿《さる》は人形の中にじっと屈《かが》んでいますので、誰《だれ》にも気づかれませんでした。そして、やはり、甚兵衛《じんべえ》は神様《かみさま》から人形使いの法《ほう》を教《おそ》わったということになりました。さあそれが評判《ひょうばん》になりまして、「甚兵衛の人形は生人形《いきにんぎょう》」といいはやされ、町の人たちはもちろんのこと、遠《とお》くの人まで、甚兵衛の人形|小屋《ごや》へ見物《けんぶつ》に参《まい》りました。

     三

 町の祭礼《さいれい》がすみますと、猿《さる》は甚兵衛に向《むか》って、都《みやこ》にでてみようではありませんかといいました。甚兵衛もそう思ってたところです。田舎《いなか》の小さな町では仕方《しかた》がありません。大きな都《みやこ》にでて、世間《せけん》の人をびっくりさせるのも楽《たの》しみです。それでさっそく支度《したく》をしまして、だいぶ遠《とお》い都《みやこ》へでてゆきました。
 甚兵衛は、都《みやこ》の一番|賑《にぎ》やかな場所《ばしょ》に、直《ただ》ちに小屋《こや》がけをしまして、「世界一の人形使い、独《ひと》りで踊《おど》るひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]人形」という例《れい》の看板《かんばん》をだしました。すると、甚兵衛の評判《ひょうばん》はもうその都《みやこ》にも伝《つた》わっていますので、見物人《けんぶつにん》が朝からつめかけて、たいへんな繁昌《はんじょう》です。甚兵衛は得意《とくい》になって、毎日ひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]の人形を踊《おど》らせました。
 ところがある日、甚兵衛《じんべえ》は例《れい》のとおり、「歩いたり、歩いたり、……踊《おど》ったり、踊《おど》ったり、……飛《と》んだり、跳《は》ねたり」などといって、自由自在《じゆうじざい》に人形を使っていますうち、つい調子《ちょうし》にのって、「鳴《な》いたり、鳴《な》いたり」と口を滑《すべ》らせました。けれども人形は一|向《こう》鳴《な》きませんでした。さあ甚兵衛は弱《よわ》ってしまいました。でも一|度《ど》いいだしたことですから、今《いま》さら取消《とりけ》すわけにはゆきません。甚兵衛は泣《な》きだしそうな顔《かお》をして、人形の中の猿《さる》にそっと頼《たの》みました。
「猿《さる》や、どうか鳴《な》いてくれ、私が困《こま》るから」
「では泣《な》きましょう」と猿《さる》は答《こた》えました。
 そこで甚兵衛は鞭《むち》を高く差上《さしあ》げ、大きな声でいいました。
「鳴《な》いたり、鳴《な》いたり」
 人形は「キイ、キイ、キャッキャッ」と鳴《な》きました。
 見物人《けんぶつにん》は驚《おどろ》いたの驚《おどろ》かないの、それはたいへんな騒《さわ》ぎになりました。「人形が鳴《な》いた」という者もあれば、「あれは猿《さる》の鳴《な》き声だ」という者もあるし、一|度《ど》に立ちあがってはやし立てました。すると甚兵衛は一きわ声を張《は》りあげていいました。
「今のは猿《さる》の鳴《な》き声であります。これからまた他《ほか》の鳴《な》き声をお聞《き》かせいたします。……さあひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]人形、鳴《な》いたり鳴《な》いたり、犬の鳴《な》き声」
 人形は「ワン、ワン、ワンワン」と鳴《な》きました。
「鳴《な》いたり鳴《な》いたり、猫《ねこ》の鳴《な》き声」
 人形は「ニャア、ニャア、ニャー」と鳴《な》きました。
「鳴《な》いたり鳴《な》いたり、鼠《ねずみ》の鳴《な》き声」
 人形は「チュウ、チュウ、チュチュー」と鳴《な》きました。
「鳴《な》いたり鳴《な》いたり、狐《きつね》の鳴《な》き声」
 人形は「コン、コン、コンコン」と鳴《な》きました。
「鳴《な》いたり鳴《な》いたり、狸《たぬき》の鳴《な》き声」
 すると見物人《けんぶつにん》は喜《よろこ》びました。誰《だれ》もまだ、狸《たぬき》の鳴《な》き声を聞《き》いた者がありませんでした。皆《みな》静《しず》まり返《かえ》って耳を澄《すま》しました。ところが、いつまでたっても人形は鳴《な》きません。甚兵衛《じんべえ》はまたくり返《かえ》しました。
「鳴《な》いたり鳴《な》いたり、狸《たぬき》の鳴《な》き声」
 それでもまだ人形は鳴《な》きませんでした。鳴《な》かないのも道理《もっとも》です。人形の中の猿《さる》は、狸《たぬき》の泣《な》き声を知らなかったのです。甚兵衛はそんなこととは気づかないで、三|度《ど》くり返《かえ》しました。
「鳴《な》いたり鳴《な》いたり、狸《たぬき》の鳴《な》き声」
 すると人形は大きな声でこういいました。
「狸《たぬき》の鳴《な》き声《ごえ》、知らない知らない、キイ、キイ、キャッキャッ」
 それを聞《き》くと、小屋《こや》の中は沸《わ》き返《かえ》るような騒《さわ》ぎになりました。「狸《たぬき》の声を人形も知らない――人形が口を利《き》いた――猿《さる》の鳴《な》き声をした」とてんでにいいはやして、見物人《けんぶつにん》のほうが踊《おど》りだしました。
 甚兵衛《じんべえ》は初め呆気《あっけ》にとられていましたが、やがて程《ほど》よいところで挨拶《あいさつ》をして、その日はそれでおしまいにしました。
 甚兵衛と猿《さる》と二人きりになりますと、猿《さる》は顔《かお》から汗《あせ》を流《なが》しながらいいました。
「甚兵衛さん、今日《きょう》のように困《こま》ったことはありません。狸《たぬき》の鳴《な》き声を知らないのに、鳴《な》けとなん遍《べん》もいわれて、私はどうしようかと思いました」
「いや私もうっかりいってしまって、後《あと》で困《こま》ったなと思ったが、しかしお前が知らない知らないといったのは大できだった」
 そして翌日《よくじつ》からは、踊《おど》りや鳴《な》き声を前からきめておいて、それだけをやることにしました。

     四

 ところがその都《みやこ》に、四、五人で組《くみ》をなした盗賊《とうぞく》がいまして、甚兵衛の人形の評判《ひょうばん》をきき、それを盗《ぬす》み取ろうとはかりました。そしてある晩《ばん》、にわかに甚兵衛の所《ところ》へ押《お》し入り、眠《ねむ》ってる甚兵衛を縛《しば》りあげ、刀《かたな》をつきつけて、人形をだせと嚇《おど》かしました。甚兵衛はびっくりして、あたりを見|廻《まわ》しましたが、猿《さる》はどこかへ逃《に》げてしまって居《い》ませんし、まごまごすると刀《かたな》で切られそうですから、仕方《しかた》なく人形のある室《へや》を教《おし》えました。盗賊《とうぞく》どもは人形を奪《うば》うと、そのままどこかへ行ってしまいました。
 盗賊《とうぞく》どもが居《い》なくなった時、押入《おしいれ》の中に隠《かく》れていた猿《さる》は、ようようでてきて、甚兵衛の縛《しば》られてる繩《なわ》を解《と》いてやりました。けれども盗賊《とうぞく》どもが逃《に》げてしまった後《あと》なので、どうにも仕方《しかた》がありませんでした。ただこの上は、盗賊《とうぞく》の住居《すまい》を探《さが》しあてて人形を取り返《かえ》すよりほかはありません。
 それから毎日、昼間《ひるま》は甚兵衛《じんべえ》がでかけ、夜《よる》になると猿《さる》がでかけて、人形の行方《ゆくえ》を探《さが》しました。けれどなかなか見つかりませんでした。ちょうど半月《はんつき》ばかりたった時、その日も甚兵衛は尋《たず》ねあぐんで、ぼんやり家に帰《かえ》りかけますと、ある河岸《かし》の木影《こかげ》に、白髯《しろひげ》の占《うらな》い者《しゃ》が卓《つくえ》を据《す》えて、にこにこ笑《わら》っていました。甚兵衛はその白髯《しろひげ》のお爺《じい》さんの前へ行って、人形の行方《ゆくえ》を占《うらな》ってもらいました。
 お爺《じい》さんはしばらく考えていましたが、やがてこういいました。
「ははあ、わかったわかった。その人形は地獄《じごく》に居《い》る。訳《わけ》はないから取りに行くがいい」
 甚兵衛はびっくりして、なおいろいろ尋《たず》ねましたが、白髯《しろひげ》のお爺《じい》さんは眼《め》をつぶったきり、もうなんとも答《こた》えませんでした。
 甚兵衛は家に帰《かえ》って、その話を猿《さる》にいってきかせ、占《うらな》い者《しゃ》の言葉《ことば》を二人で考えてみました。地獄《じごく》に居《い》るが訳《わけ》はないというのが、どうもわかりませんでした。二人は一晩《ひとばん》中考えました。そして朝になると、二人ともうまいことを考えつきました。
 甚兵衛はこう考えました。
「これはなんでも、地獄《じごく》に関係《かんけい》のある古いお寺《てら》か荒《あ》れはてたお寺《てら》に違《ちが》いない」
 猿《さる》はこう考えました。
「地獄《じごく》のことなら鬼《おに》の思うままだから、鬼《おに》の人形をこしらえたら、それであの人形が取りもどせるだろう」

     五

 それからは、猿《さる》は大きな鬼《おに》の人形をこしらえ、甚兵衛《じんべえ》は荒《あ》れはてた寺《てら》を尋《たず》ねて歩きました。ちょうど都《みやこ》の町はずれに、大きな古寺《ふるでら》がありましたので、甚兵衛はそっと中にはいりこんで様子《ようす》を窺《うかが》ってみますと、畳《たたみ》もなにもないような荒《あ》れはてた本堂《ほんどう》のなかに、四、五人の男が坐《すわ》って、なにかひそひそ相談《そうだん》をしていました。よく見ると、それがあの盗賊《とうぞく》どもではありませんか。甚兵衛はびっくりして、見られないように逃《に》げだしてきました。そして猿《さる》にそのことを告《つ》げました。
「もう大丈夫《だいじょうぶ》です」と猿《さる》はいいました。「人形は盗賊《とうぞく》どもの所《ところ》にあるに違《ちが》いありません。私が行って取りもどしてきましょう」
 甚兵衛は危《あぶ》ながりましたが、猿《さる》が大丈夫《だいじょうぶ》だというものですから、そのいうとおりに従《したが》いました。
 晩《ばん》になりますと、二人は鬼《おに》の人形をかついで、盗賊《とうぞく》の古寺《ふるでら》へ行きました。それから猿《さる》は人形の中にはいって、一人でのそのそ本堂《ほんどう》にやってゆきました。本堂《ほんどう》の中には蝋燭《そうそく》が明るくともっていましたが、盗賊《とうぞく》どもは酒《さけ》に酔《よ》っ払《ぱら》って、そこにごろごろ眠《ねむ》っていました。
「こら!」と猿《さる》は人形の中から大きな声でどなりました。
 盗賊《とうぞく》どもはびっくりして起《お》きあがりますと、眼《め》の前に大きな鬼《おに》がつっ立ってるではありませんか。みんな胆《きも》をつぶして、腰《こし》を抜《ぬか》してしまいました。
 鬼《おに》の人形の中から、猿《さる》は大きな声でいいました。
「貴様《きさま》どもは悪《わる》い奴《やつ》だ。甚兵衛《じんべえ》さんの生人形《いきにんぎょう》を盗《ぬす》んだろう。あれをすぐここにだせ、だせば命《いのち》は助《たす》けてやる。ださなければ八裂《やつざ》きにしてしまうぞ」
「はい、だします、だします」と盗賊《とうぞく》どもは答《こた》えました。
 やがて盗賊《とうぞく》どもは、生人形《いきにんぎょう》を奥《おく》から持《も》ってきましたが、首《くび》はぬけ手足はもぎれて、さんざんな姿《すがた》になっていました。それも道理《もっとも》です。盗賊《とうぞく》どもは人形を踊《おど》らして、金|儲《もう》けをするつもりでしたが、中に猿《さる》がはいっていないんですから、人形は踊《おど》れようわけがありません。盗賊《とうぞく》どもは腹《はら》を立てて、人形の首を引《ひ》きぬき、手足をもぎ取って、本堂《ほんどう》の隅《すみ》っこに投《な》げ捨《す》て
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