れていて、郊外の風光を楽しむだけののびのびした気持になれなかったし、往来の電車はひどく込み合っていたし、霜解の田舎道は泥濘で歩きにくかった。それを我慢して兎に角半日を過してきたが、身体が大変疲れた上に、頭が茫として愚かになった気がした。
「時間を無駄につぶした上に、頭まで悪くして、これほど馬鹿げたことはない。」
 そして久保田さんは、一度で郊外散歩を思い諦めて、此度は早起の方に取掛った。
 習慣というものは、殊に老年になると、なかなか破り難いものである。夜更しをして朝寝の習慣がついている久保田さんには、太陽と一緒に起上るということが、そう容易くは出来なかった。前晩頼んでおいた女中や夫人に声をかけられても、一寸返辞をしたきりで、も少しと思って躊躇しているうちに、またうとうととするのだった。
 そういうことを幾度か繰返した後、久保田さんは遂に或る朝、太陽より少し後れて、六時頃起き上ることが出来た。而も奇蹟的に、誰にも起されずに訳なく出来たのである。
 何だかちらちらとしてはっきり分らなかったが、そのちらちらとした中から、三分の一ほど欠けた不恰好な月がひょっこりと浮び出して、久保田さんの頭に
前へ 次へ
全17ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング