か自分でも分らない。俺は振返って見た。池部と谷山とが立っていた。
「今君の家《うち》へ行った所だぜ。」と池部が云った。
「そうか。」と俺は答えた。
「丁度よくぶつかってよかった。だが、いくら呼んでも返辞をしねえなあ酷《ひで》えよ。」
「そうだったのか。」と俺は云った。
「一体朝から何処を歩き廻ってたんだ。」
「何処って当はねえから、ただ歩いてたんだ。」
「ただ歩くって奴があるもんか。」
「歩きでもしなけりゃ仕方ねえからな。」
「そいつあ面白えや。」と谷山は云って、往来の真中で笑い出した。
大きな図体を揺ってせり上ぐるその笑い声を聞くと、俺は愉快になってきた。
「どっかで一杯やらねえか。」と俺は云い出した。「ただ俺は一文もねえが、君達少しは持ってるだろう。」
「うむ、よかろう。」
そして三人で、近くの小さな酒場にはいっていった。
池部は妙に俺の方をじろじろ窺っていた。俺は一寸気に障った。その俺の顔色を察してか、彼はこう尋ねかけてきた。
「君、金の工面はついたのか。」
「つかねえよ。」
「じゃあ一体どうするつもりだい。」
「どうもこうもねえさ。正月は向うからやってくらあね。」
その時突然に谷山が、本当に困るならどうにかしてやろうと云い出した。沢山は出来ないが四五十のことなら何とかなるかも知れないと……。俺は一寸びくりとした。驚きとも感謝ともつかない、電気にでも触れたような気持だった。それを俺は強いて押えつけて云った。
「大丈夫かね、こう押しつまってるのに……。」
「変梃な云い方をするなよ。まあ明日《あした》まで待て、何とかしてみるから。……そんなに切羽詰ってるんなら、早く俺に相談してくれるとよかったんだ。」
「だが、君はいつもぴいぴいじゃねえか。」
「ぴいぴいだから、またどっかに抜け途もあるってことさ。……大丈夫俺が引受けてやらあ。」
「本当か。……じゃあ頼むぜ。」
そして俺は、自分の気弱さを自分で叱りながらも、涙ぐんでしまった。それをてれ隠しにする気味もあって、しきりに酒をあおった。
「もう行こうじゃねえか。」と池部はふいに云い出した。「君早く帰ってやるがいいぜ、しきりに待ってたから。」
俺は先程からの池部の様子で、彼が何か腹に一物あることを気付ていた。それが今の言葉で愈々はっきりしてきた。考えてみれば、笹木のことを一言も云わないのが不思議だった。向うでそうなら、こちらから切り出してやれという気になった。
「君、笹木の話はどうなったんだ?」
「いや……また明日相談しようよ。」
その逃げ言葉を俺は追いつめてやった。彼は暫く黙り込んで、それから谷山と眼で相図した上で、初めて話しだした。
――その日の朝、池部は笹木の所へ寄ってみた。一寸出かけてるとのことだった。それでまた晩に行ってみた。すると小僧が出て来た。笹木は関西の方へ旅に出ていて、正月も松が過ぎてでなければ帰らないとの答えだった。池部は細君に逢いたがった。然し細君も今日は不在だと小僧は答えた。池部は変な気持で帰ってきたが、どう考えても腑に落ちなかった。其処へ谷山が来合せた。二人でいろいろ考え合せてみると、誰か笹木へ内通した者が居るに違いなかった。それで笹木は留守をつかってるに違いなかった。二人は忌々しくなって腹を立てた。もう引っ叩いてでもやらなければ、その腹の虫の納りがつかなかった。然し大勢ではまた手違いを起すかも知れないので、二人でやっつけることにした、而もその晩に……。
「じゃあ何で俺の家へ寄ったんだ?」と俺は尋ねてみた。
「一寸通りがかりに……。」と池部は言葉尻を濁した。
嘘を云ってるなと俺は思った。お久が何か余計なことを饒舌ったので、それで俺を敬遠しようとしてるのに違いなかった。然しそんなことを詮索してる隙はなかった。こうなったからには俺は後へは引けなかった。一緒に行くことを頑強に主張してやった。池部もしまいには折れて出た。
俺達が酒場から出て笹木の家へ向った時は、もう十一時を過ぎていた。空に処々雲切れがして、寒い北風が地面を低く吹いていた。俺達は出来るだけ急いだ。三十分ばかりで笹木の家の前まで来た。然しどうして笹木を捕えるかが厄介だった。いきなり踏み込んでいってもし本当に不在ででもあったら、いい恥曝しだった。それかって呼び出す方法もなかった。居るか居ないかを外から確かめるより外はなかった。
表戸はもうすっかり閉め切ってあった。それに耳をつけて聞いてみたが、中はひっそりとして何の物音もしなかった。その上、長く立聞きをする訳にもゆかなかった。ちらほらとまだ人通りがしていた。困ったなと思ってると、池部が勝手口の路次を見付けた。開扉《ひらき》には締りがしてなかった。俺達は泥坊のようにそっと忍び込んだ。つき当りの勝手許まで辿りついて、其処に身を潜めた。中で
前へ
次へ
全12ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング