は何かことことと用をしてるらしかった。それがしいんと静まり返った。人声一つ聞えなかった。俺達は怨めしげに、斜め上の二階を見上げた。その戸の隙間から洩れてる光に、僅かな望みを繋いだ。然しいくら待っても、笹木のらしい人声は聞き取れなかった。もう寝てしまってるのかも知れないし、或は実際居ないのかも知れなかった。どうしたものだろう……と俺達は囁き合った。いつまで待ってればよいのやら、更に見当がつかなかった。しまいに谷山は焦れだして、小さな石を一つ二階の雨戸に投げつけてみた。何の応《いら》えもなかった。身体がぞくぞく冷えきっていった。
俺達は何度も、表通りへ出てみたり、また裏口へ忍び込んだりした。そのうちに陰鬱な云いようのない気持になってきた。それかって今更すごすご帰ってゆく訳にもいかなかった。底のない淵へずるずる落込んでゆくようなものだった。待てば待つほど、その待ったということに心が縛られていった。そして、無理に心をもぎ離して立去るか、思い切って踏み込んでみるか、その二つの間の距離がじりじりと狭まっていった。俺達は最後にも一度、路次の中に釘付になった。
その時、全く天の助けだった、家の中にどかどかと足音がして、勝手許の戸が開いたかと思うと、ぱっと光がさした。その光を浴びて出て来た横顔は、意外にも浅井だった。手に下駄を下げていた。続いて笹木の姿が見えた。二人は二三歩踏み出してきた。
俺達は余りの意外さに面喰った。その驚きからさめると、凡ての事情が一度にはっきりしてきた。もう疑う余地もなかったし、問い訊す必要もなかった。三人同時に飛び出した。向うは棒立ちになった。それから身構えをした。両方で一寸睥み合った。力一杯に気と気で押し合った。そして息が続かなくなった時、俺は真先に笹木へ飛びかかって、拳固で横面を一つ張りつけてやった。笹木はぐたりと倒れた……と俺が思ってるうちに、足にはいてた下駄を掴んで、立ち上りざま俺の頭を狙ってきた。避《よ》ける隙も何もなかった。がーんと頭のしんまで響き渡った。眼がくらくらとした。それからはもう夢中だった。
殆んど瞬く間だった。俺達三人は、ぼんやりつっ立って顔を見合った。地面には、笹木と浅井とがぶっ倒れて唸っていた。俺達は黙って其処を立去った。不思議なことには、初めから言葉一つ口に出さなかったし、立去る時にも捨台辞《すてぜりふ》一つせず、唾一つひっかけなかった。そして俺達は黙りこくったまま、広い通りを十町余り歩いてきた。その時谷山は、手に握ってた棒切を初めて投げ捨てた。
「どうしたんだ。」
「これで奴等の向う脛をかっ払ってやったんだ。」
そしてまた四五町行くと、谷山はふいに俺へ言葉をかけた。
「俺は本当に金を工面してくるぜ。」
俺はその意味が分らないで、彼の顔を見返してやった。そして咄嗟に、酒場での彼の約束は嘘で、此度のは本気であるということが分った。
俺は笑いたくなった。笑っちゃいけないような気がしたが、一人でに笑いが飛び出してきた。谷山も笑った。池部が眉根をひそめて――何を不快がったのか――俺の方をじろりと見た。が俺は気にしなかった。三人は本当の仲間だということを胸のどん底に感じでいた。
やがて俺は彼等と別れた。
「明日の晩行くぜ。」と谷山は云った。
「俺も一緒に行く。」と池部は云った。
俺は一人でぶらりと帰っていった。池部と谷山も、やはり一寸口を利いただけで別れてゆくだろう、考えてみて、また笑いたくなった。思い切って高笑いしてやろうかな、と思っているうちに、頭がぼんやりしてきた。
家の前まで来ると、何故ともなく前後を透して見て、薄暗い小路に人影もないのを見定めてから、そっと格子を開いた。それからつかつかと上り込んでいった。
第一に俺の眼についたのは、神棚の明々とした蝋燭の火だった。一寸不快になった所へ、お久が顔色を変えて俺の方を見上げた。
「どうしたんだよ、お前さん、頭から血が流れてるー。」
「えッ!」
頭に手をやってみると、左の耳の上の方が円く脹れ上って、ねっとりと血がにじんでいた。あれだな……と思うと同時に、ひどく頭が痛んできた。俺は何とも云わずに、そのまま台所へ行って、血を洗って頭を冷した。いい気持だった。
暫くして俺はまた戻ってきたが、その間お久は、火鉢の側で石のように固くなっていた。そして俺の姿を見ると、いきなり罵り立てた。
「やっぱりそうだったんだ! 私お前さんをそんな人だとは思わなかった。自分でよくも恥しくないんだね。浅間しくないんだね!……私もうお前さんから鐚一文だって貰やしない。ええ貰うもんか、飢《かつ》え死にしたって貰やしない。さぞたんとお金を持ってきたんだろうね。そんなものなんか溝の中へでも棄っちまいなよ。恥知らずにも程がある!……。」
俺は呆気《あっけ》に
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