分で自分の道を切り拓く覚悟が、常に必要なのである。これは、先覚者とか先駆者とかについて言うのではない。見透しがつかないことは、あらゆる変動の可能を意味するのである。
 かかる境地に、近代のハムレットを置いてみるがいい。――「近代の」という形容を冠した所以は、それがもう過去のものとなりつつあるからである。たしかに、一時、ハムレット的なものが存在した。彼はあらゆる信念や確信を喪失している。そして何よりもひどいのは、欲望に対する熱情の喪失である。或る意図を懐いても、その意図が実現されない前から、実現後の不安や不満を予感する。だから意図を貫徹する熱意を欠き、意図そのものも蕾のうちに萎んでしまう。「喉はかわいているが、渇は常にいやされている。」とスーポーは言っている。つまり、行動の結果に対する不信から、行動そのものが拒否される。必要なのは、行動そのものでなくて、行動についての熱情なのである。これは、自己の豊富さについての自覚から来るところの、行動は限定であり、一つのものを選択することは他の無数のものを捨てることであるという思想、初期のジィドなどの思想とも、関連を持っている。斯くて、何か一つの欲望
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