々の切先で抉られたのだろう。主婦の悲しい宿命である。そしてこの宿命は、家庭という観念の変革なくては、免れることが出来ない。おお、なんとばかばかしい観念であることか。それは政治的権力の観念とよく似寄っている。そんなものは、実は私には用がなかった筈だ。女中の地位などということに私が突き当ったのも、家庭の旧観念に私が囚われていたからではないか。家庭内の権威と、文学への夢想と、私を対象としての母の矛盾した態度は、いま、私には悲しいことに見える。
だが、一週間ばかりの間は何のことも起らなかった。駒込の伯父さまからは何の便りもなかったようだ。私はつとめて、そして安らかな微笑を以て、万事につけ、今日はお洗濯をして宜しいでしょうかを、母に尋ねた。母はいつもの通り指図をしてくれた。
そして或る晩、母はふいに、しばらくの間、和歌山にある生家へ行ってきたいと言いだした。久しく行かないから、先祖の墓参かたがた訪れるのだと言う。引き留める理由はなにもなかった。駒込の伯父さんへの口実も立つと、吉川は陰で私に、ばかなことを言った。男というものは、女の心理についてはまったく近視眼であるらしい。
「淋しいでしょうけ
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