分りました。」と母は声を抑えて言った。「あちらでそのつもりならこちらでも、もう留守居なんかに行ってやりません。」
 それから間を置いて、少し震える声で言った。
「わたしは隠居しますよ。ええ、隠居しますとも。」
 母まで怒ってるようで、もうめちゃくちゃだった。私には取りなすすべがなかった。
 母は黙って寝室へ去り、吉川はまた酒を飲んで、同じく黙って寝室へ去った。私は後片付けをして、炬燵でしばらく考えこんだ。家庭の雰囲気がばらばらになったような、そしてへんにしみじみとした夜だった。このような夜は、嫁いで来て初めてのことである。
 翌朝まで、その気分は残っていた。母はまだ怒ってるようだった。
 ところがその午後、母は私に言った。
「わたしは、いろいろ考えましたがね、やはり隠居することにきめましたよ。」私の方でびっくりした。
「あら、隠居なんて、おかしいじゃございませんか。」
「いいえ、意地にもしてみせます。わたしはただ、この家を護り通すために、長年苦労してきました。家を護り通す、そのことだけを心掛けて族行もしませんでした。けれど、もう大丈夫でしょう。家の中の仕事がなくなるのは、何より淋しいこ
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