してるようだった。私はただ母のロボットに過ぎない気持ちがした。
夫、というのもへんだから、姓を呼ぶが、吉川は、文学などには趣味はなく、私の翻訳にも無関心のようだった。然し、次第に、無関心が軽蔑に変ってきた。夜分まで私が机に向ってることがあるのを、嫌がったのであろう。
「家庭の主婦が、原稿など書こうとしても、どうせ中途半端になる、にきまってるよ。お母さんも、それを経験した筈だがな。愚痴をこぼしていたことがある。昔は小説なんか読み耽っていることもあったが其後さっぱりやめてしまった。まあまあ、お母さんの気紛れなんかいい加減に聞き流しておく方がいいよ。そんなことより、主婦の仕事はたくさんある筈だし、裁縫なんかも教わって、お母さんの手助けをするようにしては、どうですか。」
この、どうですか、という言葉が私の胸にぐっと響いた。吉川は西洋流というのか、不機嫌なことは丁寧なよそよそしい調子で言う癖がある。
もとより、吉川の説には私も賛成なのである。専門家にならない限り、婦人にとって、文学は情操を養うのを主眼とすると、女子大の英文科の先生も説かれていたし、私も女学校で、生徒達にそう説いた。家庭の主婦となっては家事が第一というのが、女学校の教育方針であって、私もそう考えていた。年若くてなまじ文才があったため、それに自ら幻惑されて、文学上の真の能力や仕事がどういうものかを知らず、前途を誤った者もある。ただ、私のささやかな翻訳の仕事は文学などというものではなく、思えば、母の御機嫌取りに過ぎなかった。私としては勿論、家事第一主義の考えに変りはなかった。
私は母に、翻訳の代償として、と言えばおかしいが、和裁を教えて貰うように願った。
「吉川もそう申しておりましたの。」
「へえー、貞一さんがねえ。」
母は怪訝そうに私を見た。
「貞一さんには関係ないことですが、あなたがそう言うなら、やってごらんなさい。」
そして私は、針仕事を教わることになったが、少しは心得もあったし、興味も持てた。母は教えるとなると、細々と丹念な注意を与えてくれた。然しそのため、私の仕事はたいへん多くなった。
いったい母は、すべてのことに几帳面なのである。室の掃除だって、箒の使い方から、艶布巾のかけ方から、廊下の雑巾がけまで、一定の方式があって、私はそれをすっかり身につけなければならなかった。食後の片付物についても
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