く思いもかけないことだった。もっとも母は津田芳子さんのことを知っていた。津田さんは私の友人で、小さな婦人雑誌の編輯をしている。以前、私はちょっとした翻訳物をその雑誌にのせて貰ったことがある。母は言う。
「わたしの若い頃のお友だちに、木村さんという才媛がいましてね、小説、戯曲、詩、歌、なんでも書きましたよ、あまり才気が多すぎたため、何一つ本物にはなりませんでしたが……。やっぱり、何か一つのことに気を入れなければいけないとみえますね。」
その才媛というのが、実は母自身の若い頃の姿だったのかも知れない。母は老いてもなおふっくらとしている頬に、思い出の笑みを浮べている。私も頬笑んだ。
「物を書くことなんか、あたくしにはとても出来ませんわ。翻訳なら、少しやったことがありますけれど……。」
「翻訳でも結構じゃありませんか。やってごらんなさいよ。何事でも、若いうちにしておくことです。」
母は若い頃の夢をまだ見つづけているのであろうか。然し、そういう夢を引き継ぐのは、私には楽しいことだった。私は津田さんを訪問して、翻訳の相談をした。翻訳といっても、私には英語しか出来ないし、津田さんとこの雑誌の性質上、イギリスの民話や家庭的なコントの類を選ぶことにした。
ところが、翻訳というものは、遊び半分にやるのならともかく、真面目にやるとなると容易なものでないことが、初めて分ってきた。第一、或る程度の時間継続して、他事を顧みずに注意力をそこに注がなければならない。独身中はそれも出来たが、人妻となってみれば、いくら隙だからとて、やはりあちこちに気を配っていなければならない。玄関の呼鈴の音にも、裏木戸の音にも、すぐに応じなければならない。女中のいない家では、主婦が女中の役をも兼ねるのである。この注意の分散は、私の頭を二重にも三重にも疲れさした。その上、隙だといっても、一軒の家の中には相当の用事がある。掃除や炊事や洗濯など、入念にやればきりがないし、買物や来客の接待などもある。翻訳の仕事など、私は半ば投げ出してしまった。
「少し出来ましたか。見せてごらんなさい。」
母はそう言って、原稿を見たがった。たとえ一枚でも二枚でも、原稿を見れば満足らしい。そしていつもほめてくれた。前に読んだ分まで繰り返して眼を通した。
「りっぱに出来ましたね。続けておやりなさい。」
母はまるで、自分の仕事を自分で鑑賞
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