同様である。或る時、午前中薄曇りなのに洗濯をしたところ、午後から翌日中雨が降って、たいへん困ったことがあった。
「お洗濯をする時は、わたしに相談なさいよ。天気のことについては、新聞の天気予報より、わたしの方が確かです。」
 それも、毎日のことはどうか分らないが、洗濯に際しては、母の見当はよくあたった。私は相談することにした。
「今日は、お洗濯をして宜しいでしょうか。」
 母は庭に出て空を仰ぎ、いいでしょうとか、いけませんとか、指図をする。からりと晴れてる朝でもそうなのである。
 それが、実は、今になって思い当るが、重大なことだった。なんにも分らない小娘ならいざ知らず、一家の主婦が、お洗濯をして宜しいでしょうか、とは何事であろう。せめて、お洗濯をしようと思います、とでも言えばまだよかった。だが私はうっかり暮していた。
 或る日、母の留守に、アルバイトをしている学生だという青年が来て、洗濯石鹸とちり紙を買ってくれというので、私は少し買ってやった。あとで、そのことを母に告げると、母は不機嫌そうに黙りこんで、やがて私をたしなめた。
「学生だかなんだか分るものですか。一度買ってやると、また何度も来ますよ。これからは、家のひとが留守だから分りませんと、そう言ってお断りなさい。買物のことは、わたしに相談してからするんですよ。」
 そして品物の金高を聞いて、その金を母は私に返してくれた。私はへんな気持ちになった。
 だいたい、私は月に千円ずつ小遣銭を貰っていた。結婚して翌月からのことである。吉川が言ったところによると、母は吉川に、美津子さんもお友だちがあったり、お化粧品も好きなのがあるだろうし、お小遣はどれぐらいあげたらよいかと、尋ねたそうである。分らないと吉川が答えると、では月に千円ばかりあげることにしよう、足りなかったらまた言って下さい、と母がきめてしまったとか。吉川自身、自分の小遣は会社の月給から差引いて、残りは全部母に渡し、生活費や資産の運用などは、母が独りでやっているのである。それが昔からの習慣なのだ。私の実家は貧しく、女学校の俸給はみな母へ渡していたし、ただ退職金だけを貰って私は稼いできた。月千円の小遣では不足がちだった。
 けれども、そうしたことを、私は別におかしいとは思わなかった。買物はすべて母の指図通りにした。何々を買ってきなさいとか、何程の値段のものを買ってきな
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