れが知りたいのだ。
お互にそういうことを知り合うには、親しく交際するのが最も近道である。次には書物に頼ることだ。言語の障壁は飜訳によって除かれ得る。飜訳書の出版を盛んにすることだ。これについては、中国も日本も飜訳権などのことをうるさくは言わないに違いない。良書の選択と良心的な飜訳と、この二つの条件さえ揃えば、他に面倒なことは起るまい。そしてこの二つの条件は、両国とも容易に具備され得るだろう。見通しは明るい。――其他、共同研究所の開設とか、教授や学生の交換とか、方法はいくらもあるだろう。
ところが、最後に問題が一つ残る。経済や技術や医療など、実用的な方面のことは、隣接の地理的条件、生活条件のため、提携は比較的容易く行われるだろう。然し精神文化の部面に於ては、距離は勘定に入れるわけにはゆかない。またこの大変革の新時代にあっては、旧来の伝統も、大した力を持つとは思えない。儒教も仏教も、実際的には既に中国でも日本でも死んでいる。同文同種などということも、もはや信頼の根拠とはならない。そして近代文化については、中日両国とも後進国に過ぎない。お互について学ぶよりも寧ろ、先進の米英仏露に学びたい
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