精神は、外交的儀礼の一作法として理解されるものではなく、体得された心理感覚として理解されなければならない。
 この二つのもの、自治精神と世界精神とを、日本のエリット達は己が旗幟として掲げようと必死になっている。障碍は多い。然し努力は挫けないであろう。そしてこのことに、中国のエリット達は必ずや衷心から同感するに違いない。中国にはこの二つの精神が、意識的にせよ無意識的にせよ、既に多分に存在するのだ。
 私は嘗て、中国の現在の或る人々について、彼等が中国人であるよりもより多く世界人であると、驚嘆と同感の念を以て言ったことがある。その時、中国の知人達から、それは皮相な見解であるとされた。或は実際そうであるかも知れない。欧米で修学した人々が、欧米の風習を容易く身につけている、その外見だけに囚われた見方かも知れない。そうであるかも知れないが、然し、他の見解も成り立たないであろうか。
 魯迅の作品には、民俗的な生活雰囲気が余りに色濃く描かれているが、それに対する愛憐と嘆息との色調があり、この色調の源泉を重視してもよいであろう。林悟堂の真姿は、彼の中国語の文章の中にあるというのが本当だとしても、英文の
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