見つめました。木村さんは卒直な驚きの表情で、眼をまるくして、近寄ってきました。私はくるりと後ろを向きましたが、とっさに、涙が出てきて困りました。駆け出して、溝の中にとびこんで、涙をふきましたが、あとは、へんに白々として淋しい気持で、木村さんがやって来ても、口を利く気がしませんでした。「どうかなすったのですか。」「いいえ……。」そして私は強いて微笑みましたが、なぜか、蒼白い微笑というような感じが胸にきて、妙に身体の硬ばるのを覚えました。そして浅間葡萄の茂みの上に腰を下し、わざと、煙草を一本もらって、戯れにふかしました。
 すぐ後ろの方、見上ぐるばかりに聳えてる浅間山の横手から、大きな夕立雲が盛上っていて、それが太陽をかくし、六里ヶ原は半ば影になって、冷々とした空気が流れていました。が遙か彼方の空は、一杯に日の光を含んで、白根や万座の山々がくっきりと浮出していました。それらの広茫たる景色を眺めていますと、私はひどく心細くなって、もう木村さんのことなんか頭になく、相変らず悠々と歩いてくる野口の姿を、力強く感じました。けれどその力強さは、自分の孤独感を益々深めるような性質のものでした。夕立雲は
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