情……感情のことまでも彼は論ずるのです。……私達の夫婦生活の最初の日から今日に至るまで、一日一日と、彼の感情は平静にそして鈍重になってきたのを、私はよく知っております。そしてこれから先、更にどうなってゆくことでしょう。理想から現実へ……それは立派な言葉でしょうけれど、また、美しい夢を追払って動物性へ逆行することではありませんでしょうか。
 ――「お前は自分の感情を自分の食物にしたいのだろう。然し、自分以外のものを消化するだけの丈夫な胃袋を持たなければいけないんだ。」そう野口は皮肉に申します。
 私の胃袋は……重苦しい食物をあまり受付けず、ともすると軽く痛みだす、病弱な胃袋ではありますけれど、自分以外のものは消化出来ないほど貧弱なものだったでしょうかしら。いいえ、私はいろんなものがほしかったのです……。ダンスもしたいし、音楽もやりたいし、馬に乗りたいと思ったことさえあります。けれど、浅間山に登って噴火口を覗くようなことは……それは野口一人に任せておきました。
 別荘の人たちが数名で、浅間登山をしました。私にはとても行けそうにありませんでした。遠くから見てる方が美しい、と木村さんも云いまし
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