した。そして二人は旧知のように話しあったが、ふと、言葉が途切れると、李の映像が大きく浮んでき、三日も四日も何処で何をしてるかと再び心配になった。
「普通のアパートでしたら、止宿人は全く自由でしょうけれど、私共では、よその大事な息子さん達をお預りしてるという気持から、殊に厳重にしておりますし、李さんもそれはよく知っておる筈ですが……。」
「それに、先程申したように、別所君と一緒に、或は別々かも知れませんが、同時に居なくなったということがなんだか、気懸りです。」
別所の神経質な弱々しい人柄と並べると、李の秀才型ではあるが一風変った性格が、いつしか兇悪な影をも帯びてくるようだった。それかといって、警察の力をかりるには、李に思想上の悪傾向にないとしても、特高係のたまの来訪や半島出身者という点からして、憚られるものがあった。
「とにかく、もう少し様子を探ってみましょう。」と江原は結論した。
江原が帰ってから、正枝は暫く思案した後、此度は一人で再び李の室に行ってみた。そして机の抽出をあけてみたり押入の中を覗いてみたりしたが、どこもきちんと片付いていて、何かの手掛りになるような書き物の断片さえもなかった。そのうち、正枝は突然顔を赧らめ、急いで室から出た。
三
翌朝、正枝は昨夜よく眠れなかったに拘らず、へんに早く眼をさました。起き上ると、すぐにキヨがとんできた。
「奥さま、李さんが帰りました。」
「え、李さんが……。いつ?」
まだ六時前、キヨまでそれで起されたのだった。李はいつもの調子で、のんきに帰ってきて、顔を洗い、身体中水でふいて、それから、今朝だけ御飯をたべさせてくれと頼み、新聞を読みながら待っていると云って、室に上っていったそうである。
正枝は何かしら慌てた。急いで顔を洗い髪をなでつけ、室の掃除がすむとすぐ、李を呼びにやった。
李は単衣に着かえていて、笑いながらやって来た。
「ずいぶん寝坊ですね。」
正枝は黙って李の顔を見た。微笑の光が眼に浮び、喜色が額や頬にあった。何か新鮮なものに触れてきたような様子だった。
彼はそこに大きな盆を二枚差出した。木の丸盆で、内側の周囲に桜の花が不器用に彫ってあった。
「おばさんにお土産です。こんなもの、使えませんか。」
正枝はまだ黙っていたが、お茶を一口すすると、いきなり云った。
「一体、どこに行ってた
前へ
次へ
全13ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング