だった。作さんは、その男とすれちがってから、あとで何だか気になり、暫くして戻ってきてみると、やっぱりそうなので、ふと耳にはさんだあたしの話を思いだし、こいつかなと思ったのでした。黒いマントをすっぽりときて、黒い帽子をふかくかぶって、それほど寒くもないのに、襟巻で頬をつつんでるんだそうです。この野郎と、つかまえるつもりで、作さんが向っていくと、先方では早くも気がついて、つと横町へ切れこんだかと思うまに、歩いてるのか駆けだしてるのか、足音もさせないで、それが風のような早さで、消えてなくなってしまったのでした。だけど、あわてたとみえて、ハンカチを落していった。もし心当りの人でもあるといけないから、ないしょで知らせるんだといって、作さんは、使いふるした皺くちゃなハンカチを差出しました。ふつうの安物のハンカチで、そんなものに見覚えのあろう筈はなく、またこの剽軽《ひょうきん》な年よりの作さんが、何を云うことやら、あたしはよくも尋ねないで、ただお礼をいって、当分ないしょにしといて頂戴とたのんで、少しばかり心附をやりました。
それが、朝のうちは何でもなかったが、おひるからさむざむと空が曇って、夕方に
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