てる長髪とに、なんだか威圧される気持ちだった。簡明に打ち明けるのがよさそうだった。
「実は、お宅との間にありました、あの竹垣のことですが……。」
「ははあ、あれですか、取り払ってさっぱりしましたなあ。ぼろぼろにくさっていて、眼障りでしたろう。」
「いえ、眼障りということもありませんでしたが、無くなってみると、へんなもので……もしお宜しかったら、わたくしの方で新たに作ろうかとも思っておりますが、如何でしょうかしら。」
「なあに、それには及びませんよ。わたしの方も囲いは丈夫に出来ているし、あなたの方も囲いは丈夫に出来ているから、心配はありません。」
「それはそうですけれど、わたくしの方から、あなたの方がまる見えなものですから……。」
「まる見え、それはいけませんな。」
「ですから……。」
「つまり、見るからいけないんで、見なければいいんです。」
「見なければいいと仰言っても、眼を向ければ、素通しに見えますでしょう。」
「だから、眼を向けなければいいんです。」
 なんだか私は教訓でもされてるような工合になってしまった。この調子では、先方から私の方がよけいにまる見えだとは、言い出しにくくなった。それにまた、いったい市木さんは、私の家と自分の家とを一緒くたに考えて、両方とも外の囲いが丈夫ならそれでよいと思ってるのだろうか。その点をつっ込むより外に手はなかった。
「見える見えないは、まあどうでも宜しいんですが、あなたの家とわたくしの家と、両方の間に、何の区切りもないというのは、どうもへんじゃありますまいか。」
「なるほど、あなたの家はあなたの家、わたしの家はわたしの家、それは賛成ですな。」
 そこで初めて意見が一致して、市木さんは自分から、竹垣を拵えようと言い出した。
 そうときまると、市木さんはぐずついていなかった。早速、どこからか材料を買い込んできて、自分で竹垣を作った。ところが、前の竹垣と違って、こんどは、低い四つ目垣だった。所々に木の棒を打ち込み、それに丸竹を棕櫚縄で結びつけたもので、それが実に目の荒い四つ目の、高さ二尺ばかりに過ぎなかった。両方の地所に区切りをつけただけで、どちらからも見通せることに変りはなく、私は容易にそれを跨ぎ越せるのだった。それでも、市木さんは満足そうだった。
「これで、出来上った。退屈な時は、ここから跨ぎ越して、遊びにいらっしゃい。」
 私の方を見て、眼で笑った。
 一仕事すましたという満足感が、市木さんにはあったろう。然しまた、私に対する好意というようなものを、その眼の中に私は感じた。童話を書いたり飜訳物をしたりして貧しい生計を立ててる私の職業を、市木さんはたぶん知らなかったろうが、官吏でもなく会社員でもない私の人柄に、なんとなく好感を懐いたらしいことが、後になって私にも分ったのである。
 或る日、市木さんが写生してるところへ私は行き会った。神社の境内をぬける道のほとりで、そこに大きな枯木があって、上方の枝は切り取られてる幹に、ところどころ、太い瘤々が盛り上っていた。その樹幹を、市木さんは例のスケッチブックに、鉛筆で写し取っていた。
 私はそこへ行って、横から覗いてみた。市木さんは振り向きもせず、一心に描いていた。私が見てもどうも上手な絵とは思えなかった。やがて市木さんは、ちょっと小首を傾げて、それから私の方を向いた。
「あの幹は、いくら書いても倦きませんよ。」
 そして画帖をめくって見せた。瘤々の盛り上ってる樹幹が、幾つも写生してあった。それをぱらぱらめくって見せただけで、私の意見は求めず、すぐに竹籠へつっ込んでしまった。
 しぜんに、二人は並んで歩きだした。私は家へ帰るところだったし、市木さんもそうだったらしい。
「油や水彩など、そういう絵もお書きになりますか。」
「いや、そういうものは書きません。墨絵もわたしは書きません。」
 市木さんに言わすれば、色彩とか濃淡とかを用いることは、自然を画家自身のものとすることになるのだった。いくら自然自体を取扱おうとしても、色彩や濃淡によって必ず画家自身のものとなる。だから市木さんは、鉛筆でしか書かない。鉛筆で書くことによって最もよく、自然を自然自体として表現出来る。市木さんは自然を自分のものとしようとは思わず、ただ自然自体として楽しむのである。
 市木さんのそういう見解は、私には納得がいかなかったし、一種の負け惜しみのようにも思えた。だが、私の注意を惹いたことが一つあった。市木さんは言った。
「わたしは自分自身をも、自然自体の一つとしたいのですが、なかなかその境地まではゆけませんな。」
 ぶらぶら歩いて、市木さんの家の前まで来た。市木さんは私の方を顧みた。
「ちょっとお待ちなさい。今すぐ開けます。」
 まるで、私が立ち寄ることにきまってるかのようだった。私は躊
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