だんはそれでお宜しいでしょうが、あなたが病気で寝込みでもなすったら、どうなさいますか。こんどだって、弘子さんの遺骨を信州の田舎へ運ぶについて、誰か留守番が必要だったでしょう。」
「いや、それは、小包郵便で送りました。」
「え、遺骨を小包郵便で……。」
 それには聞いていて私も驚いた。弘子さんの遺骨が信州の田舎にいってることを、私はその席で初めて知ったのだが、その方法が小包郵便に依るとは、意想外だった。いったい、そんなことが許されるものだろうか。土居さんも顔色を変えた。
「あなたというひとは、まるでめちゃですね。遺骨をどこかに打ち捨てるのと同じじゃありませんか。無事に先方へ届きましたか。」
「届きましたとも。鄭重な返事が来ましたよ。御疑念があるなら、証拠をお見せしましょう。」
 市木さんは立ち上って、用箪笥の抽出から一通の手紙を取り出し、土居さんに見せた。土居さんはそれを、注意深く二度繰り返し読んだ。そして私の方へ廻した。
 手紙は、信州の田舎の、市木家の菩提寺の住職から来たものだった。市木さんの亡妻と弘子さんとのための永代供養料としての二万円を、確かに受け取ったこと、それから次で、弘子さんの遺骨も到着したから懇ろに弔ったことなど、毛筆で荘重に誌されていた。
 土居さんは訳が分らなくなったらしかった。私とてもそうだった。本人とその死体とは別物だという説、遺骨を小包郵便などで送りつける仕方、永代供養料としての多額な金の寄進、それらのことの間にどういう脈絡があるのか、市木さんの真意が掴めなかった。
 考え込んでいた土居さんは、何かに胸を衝かれたかのように顔を挙げた。
「あなたは、金を寄進することによって、凡てを帳消しにする。つまり、金銭で贖ってやれと、そういうおつもりなんでしょう。」
「ははあ、あなたらしいお考えですな。」
 土居さんはひどく渋い顔をした。そして酒を何杯か飲み、もはや問答無用というような眼付で市木さんを睥みすえ、私の方へは目礼をして、他に急用があるからと言って辞し去った。
 市木さんは玄関まで送ってゆき、戻ってきて座に就きながら言った。
「金銭の奴隷が、とうとう尻尾を出しましたな。あれだからわたしはああいう連中が嫌いですよ。」
 私は探るように言ってみた。
「永代供養料の金額が、ちと多すぎるとでも、思われたのではありますまいか。」
「いや、多すぎはしません。遺骨二つをわたし自身から切り離すための、その代償ですからな。」
 私はなにか冷いものを身に浴びた気がした。そしてなお市木さんの酒の相手になりながら、前に坐ってるその長髪の老人は、果して、気が少し変なひとか、或はたいへん賢明なひとか、どちらだろうかと疑った。いずれにしても、独自な精神のひとには違いなかった。
 酔ってくると、市木さんは尺八を持ち出してきて、追分節を吹いて聞かせた。いや、私に聞かせるというよりも寧ろ、自分でその音色に聴き入ってるがようだった。

     三

 市木さんの日常は次第に、孤独な静穏なものに立ち戻っていった。買物や其他の用達しに、いつもの姿で飄々乎と出歩き、それ以外はたいてい家に引き籠って、ひっそりとしていた。
 けれども、弘子さんの死去によって、淋しい影が深くなったのも事実だった。何よりもやはり、人手が一つ足りなくなった。飯をたくことから煮物まで炊事一切、また掃除や洗濯など、市木さんは自分でやっていたが、弘子さんがおれば相当な手伝いになっただろうが、それが無くなってしまったのである。それから精神的な打撃も深い筈だった。然し、市木さんはそれらのことをよく持ち耐えて、平然としてるようだった。
 夏になって、学校も休暇になると、男の子の信吾が、庭を掃いたり草を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]ったりする姿も見えた。これも姉さんと同じく、痩せがたのおとなしい子で、顔の表情がひどく少なかった。表へ出て他の子供たちと遊ぶことも殆んどなく、家の中で静かに何かしていた。
 晩になると、時折、読書してるらしい市木さんの高い声が、その二階から聞えることがあった。或る時、ちょっと注意を惹かれるふしがあって、私は例の竹垣を跨ぎ越し、市木さんの庭にはいってゆき、二階の下に佇んだ。市木さんは高い声で読んでいた。
 聞いているうちに、私にもすぐに分った。それは、私が書いた童話だったのである。
 場所はどこでもよいが、まあ西洋のつもりである。その或る所に、むかし、羊飼いの少年がいて、石ころでも何でも金貨にしてしまう不思議な皮袋を手に入れ、それを持って、都を見物に出かけました。幾日かの旅の後、都に着きました。大きな立派な家が立ち並び、人がぞろぞろ通っていました。夕方になると、一面に灯がともり、美しく着飾った人が多くなりました。少年は、腹がすいていましたので、
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