てばかりいらっしゃるのね。いいわ、あたしもどうでもいいの。御病気がひどくでもなったら、もう側を離れやしないから……。」
 彼女は突然、捨鉢にしんみりとなって、涙さえ浮べてるらしい。そうなると、眼鏡だけがへんに目立ってくる。眼鏡は、殊に女の眼鏡は、全くへんなものだ。相手に涙を見せたい時には、せめて眼鏡を外すべきだろう。キスする時にだって眼鏡を外すのが女のたしなみではないか。現代の女性はそんなことには無頓着だ。――それでも、私は彼女の肩に手をかけ、眼鏡のままの彼女にキスしてやった、私自身も眼鏡をかけたままで。
 彼女はその眼鏡の奥の黒い瞳で、じっと私の眼を見入ってくる。
「あたし、先生より先に死にたい。死ぬ時は、あたしの手をしっかり握っててね。それだけ誓って。」
「それは、誓ってもいい。将来のことは何も誓わないのが僕の主義だけれど……。」
 私は真面目に答えた。彼女の感情を尊重してのことだ。――どちらが先に死ぬか、死に際がどうか、そんなことではないのだ。清田のおばさまのことが、彼女の心にまた現前してきたのである。
 清田のおばさまを、私は直接には識らない。久子から聞いただけのことだ。――天
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