そりしたその蛙の遅鈍さが、それを一心に見戍ってる[#「見戍ってる」は底本では「見戌ってる」]私を嘲るのだ。蛙には蛙の本能的な意図があろう。見つめてる私には、自ら自分を凝らして血行が悪くなり、一種の憔悴のみが残される。ばかばかしいことだ。蛙と同じように、待望の雨滴を楽しめばよかったのだ。蛙の如く遅鈍になれ。
敷き放しの寝床に転がっていると、庭の木立の影から忍び寄ってくる凉気が、もう既に感ぜられる。だが、私自身はどうしてこう風通しが悪いのか。――押入の横の袋戸棚の上には、莫大な印刷物の堆積がある。研究所から自宅へまで氾濫してきた資料なのだ。第一次世界大戦後から、満州事変、日華事変、太平洋戦争、それから戦後に至るまでの、日本の社会情勢についての調査資料だ。社会情勢といっても、思潮や道徳や風俗を通じて観らるる人の心の在り方が中心問題である。そのいずこ如何なる部面にも、実に風通しが悪かった。そういう息苦しさが、調査の重荷を一先ず肩からおろした今でも、なお私につきまとってるのであろうか。
結論として、政治の愚劣さ、制度の愚劣さに、いつとはなく突き当った私は、蛙の遅鈍さ、周囲への無関心さに、心惹
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