ならしとかを手に取ることはない。もっとも、夏のこととて火は入れてないのだ。――或る時、彼女はやはり火鉢の中を覗きこんだが、ふいに、くすりと笑った。それから私の方を、黒い瞳でじっと見た。
「先生は、夫婦喧嘩なんか決してなさらないかたね。」
私は微笑したものだ。大事な事柄らしい話には微笑することにきめている。
「夫婦喧嘩だってするかも知れないよ。妻がないからしないだけで……。」
「いいえ、なさらないわ。女を軽蔑していらっしゃるから。」
「尊敬してるんだよ。」
そんなことを彼女はもう信じはしない。そして、尾形さんは女を尊敬しているが、あまり尊敬しておかしなことがあったと言う。
「たいへん不機嫌だから、なんだと思ったら、夫婦喧嘩をなすったんですって。」
尾形というのは、研究所の私の仲間なのだ。――田舎の友人から鶏卵をたくさん貰った。それで尾形は、オムレツでも拵えさせようと思いついて、牛肉のこま切れを買って帰った。ところがあとで、奥さんが言うに、この節は牛も食い物が悪いと見えて、肉に脂が殆んどのっていないらしい。皿物にあまり脂がつかないし、ちょっと水で洗っただけで、きれいに落ちてしまう。い
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