野の中を、誰かが歩いている。片方は底知れぬ深い断崖である。もし覗きこめば、視線と共に体まで底へ引きずりこまされそうだ。危い。ただ歩いている。――誰かが呪文のようなことを唱える……大凶と大吉との交叉する一刻だ。悪魔になりたいか、神になりたいか。息をひそめよ、息をひそめよ。
そういう種類の夢を、私はしばしばみる。昼となく夜となく、昏迷に似た眠りのなかに、それらの形象が明瞭に浮き出し、それらを、或は眠りながら、或は眼覚めながら……私は見戍るのである……遂にいずこかへ消え失せてしまうまで。
私は病気らしい。寝つくというほどではないが、常に寝床を敷かして、気の向くままに起きたり寝たり、ぶらぶらしている。普通の通念による病気かどうか、実はそれがまだはっきりしないのだ。――一ヶ月あまり雨の一滴もなく、異常な炎熱が続いた、その暑気あたりかも知れない。そういう暑中に、過度の精神労働をした、その疲労かも知れない。多忙なあまり、手当り次第に飲んだ酒類の中の、メチールアルコールが体内に蓄積した、その作用かも知れない。或は、体のいずこかにひそかに巣くってる細菌か、内臓のいずれかの人知れぬ故障か、脳髄の一部分
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