という、その多く[#「多く」に傍点]が往々にして危険の種となる。
その危険を除去するには、勿論その人の人格なり知慧なりに俟たなければならない。然し私は茲にただ一つのことだけを云っておきたい。
それは、自分の生を愛するという心である。
如何に惨めな境遇に在り、如何に労苦のうちに悩む者も、誰が自分の生を愛しない者があろうか。外見如何に悲惨な生であろうとも、その生はその当の者にとっては極めて貴い。虫けらの生もその虫けらにとっては極めて貴い。
然るに、この自分の生が自分にとっては貴重であるという心持――貴重だという事実ではなくてそういう心境、それを吾々は往々にして失いがちである。どうせ死ぬまでの生命だから何をしても構うものか、という投げやりの気分や、生きてるうちに出来るだけ何でもしてみたい、という脹れ上った気分や、どうせ終りは死だから齷齪するだけ馬鹿げてる、という萎縮した気分や、其他種々の気分のために、生が貴重だという心境を、吾々は往々にして乱される。
然しながら、心を静かにして観ずる時には、生きるということが、如何に喜ばしく輝かしく貴く、また不可思議な驚異であることか! そしてそう
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