、いつも芳子かS子さんかまたは常かが、堯を後から抱えるようにして歩かして出迎えるのが普通だった。堯は笑い乍ら飛びはねるようにして出て来るのであった。
私は黙って靴を脱いで茶の間に通り、それから座敷の方を覗いた。いつもの蒲団を敷いて堯は寝ていた。芳子が側に坐っていた。
「どうかしたの。」と私は云った。
「ええ。」と芳子は不安らしい眼を挙げた。そしてこんなことを話した。――十時頃堯はいつものように昼寝をした。十二時に眼を覚した。がっかりしているようで元気が無かった。額が熱かった。熱をはかると九度八分に上っていた。驚いてまた寝かすと、そのまま眠ってしまった。
堯は咋年の一月十一日に生れて、丈夫に育っていった。所が六月に百日咳にかかった。丁度私達のことをよく知ってるSという小児科専門の医学士が居たので、その人に診《み》て貰って、そうひどくならないうちに癒ってしまった。それから八月の末に消化不良にかかった。ごく軽かったので近くのTという医師に診て貰って居たが、いつまでもよくならなかった。いつの間にか病気は慢性になった。私はまたS医学士の手を煩わした。病気がひどくなって危険なことも二三度あった
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