い鋭い眼が睥《にら》んでいた。壮助はそれらを一目に見て取った。そして全身にぞーっと冷水を浴びたような気がした。彼は急いで勝手許に行って水を一杯口にすると、そのまままた駈けるようにして自分の室に帰った。
その光景が長く彼を悩ました。彼は下宿を変ろうと思ったが、老婆|一人《ひとり》と小婢《こおんな》と同宿人一人との気兼ねなさと、室が日光《ひあた》りがよくて気に入ったのと、食物《たべもの》のまずい代りに比較的安価なのと、引越の面倒くさいこととのために、そのままになってしまったのであった。そしてその光景もいつしか彼の記憶の中に薄れてしまっていた。
今その光景が彼の頭の中に蘇《よみがえ》って来た。それはかの時とは違った色調を以て浮んでいた。其処には恐怖がなくて或る誘惑があった。壮助は少し左に傾けた首を堅く保ちながら、その光景の中に沈湎していった。
梯子段に老婆の足音が聞えた時、壮助ははっとして我に返った。自分の眼附が熱しているのを彼は内心に感じた。
「津川さん、これだけきり今ありませんから。」
そう云って老婆は彼の前に十五円差出した。
「えこれだけで間に合います。確かに。一週間ばかりした
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